2002年6-7月の

日々のでんチャン
-------------------2002年7月28日--------------------

最近ほしくなるものがほとんどないが

これを見た時ほしい〜!と思った。


クリックすると拡大画面。
大きさは、縦62.4cm

河井寛次郎の陶板である。

みごとな釉のコントラストで、蓋つきの壷が開いて、

文字が呪文のように浮き上がっている。

もちろん、木額も、寛次郎の自作に違いない。

そしてなによりも、書いてある言葉がすばらしい。

 

『此世は自分をさがしに来たところ

此世は自分を見に来たところ』

 

なんて素敵なんだろう。

高級車が買えるような値段に違いないだろうが…

作品を超えて、仏(神)の言葉が聞こえてきそう。

家宝にしたい。

 

 

-------------------2002年7月24日--------------------

著作“アメリカインディアンの教え”やテレフォン人生相談でお馴染みの加藤諦三さんが

ラジオで今日しゃべってるのを聞いた。

 

『不幸な人は、死にものぐるいでその不幸にしがみついてる場合が多い』

『日本人は未知の自由より、馴染みのある不幸を選ぶ傾向がある』

http://www.kato-lab.net/ ←加藤諦三のホームページ

 

など印象深いことを言っていた。もっともである。

私は、大学時代この人の授業を受けたことがあるが、

決して魅力的な人物ではなかったように感じた。

もちろん著作や言説は、すばらしく、多くの人がその言葉によって

救われたかもしれない。しかし、どん底にある人を幾人か救っただろうか。

それはあまり期待できないように私には思える。

どん底にいる人は、聞く耳や読む目を持たないのだから。

理論や方便だけでは、人はほんとうには救えない。

ともに肩を抱いて、泣くような感情がなければ、どん底の人は救えない。

彼はすばらしい学者ではあるが、人生相談などする器ではないように思う。

 

さて、はなしは変わるが、

イスラエルのアラブ住居地攻撃は、許しがたい。

もっとも富める国が、そんな暴挙をしていいのか。ユダヤ人の多くの功績を

すべて帳消しにしてもあまりある。イスラエルは撤退すべきだ。

あんまりあたりまえで、しかも非現実なことと思われ、誰も口にもしないが、

あえて言おう!

イスラエルはアラブから全面撤退すべきだ。

 

-------------------2002年7月21日--------------------

今日も新規入荷品更新しました。

 

さて、最近『12番目の天使』
http://www.kyuryudo.co.jp/book2/12th_angel.htm

って、ちょっと前に流行った本を読みました。

宣伝文句の通り泣けました。

単純に自分の境遇と比較して、入り安かった。

物語りの筋は、超有名のエリートが、突然事故で妻と息子を失い、

生きる望みを完全にたたれ、自殺しようとする。その彼を救うのが

リトルリーグの笑われ者。運動神経ゼロだが、誰よりも勇気ある少年だった。

時がたつにつれて、その少年を笑うものは、誰もいなくなる。

それどころか、少年の勇気に誰もが感動していくのだ。

そういうストーリーだ。

どうしてこんな単純なしかけのストーリーに感動して、涙までぼろぼろ

流してしまうのだろうか。

おそらく、著者の経験と叡智と熱意と信念に動かされるのに違いないのだ。

説得力とは、じゅうぶんに経験したものにしか、身につかないものなのだろう。

そういう意味で、ストーリーを語るとき、必要不可欠な登場人物というものがある。

それは、ヒーロー。これはあたりまえ。

それに世の中を知り尽くした年老いた賢者の存在だ。

これがないストーリーは、説得力のない、軽薄なものになる。

このことは、偉大な心理学者=ユングが『老賢者』というキーワードで説いてる。

アメリカ映画には、この『老賢者』の存在が欠かせない。

スターウォーズのヨーダのような存在だ。
http://www.starwars.jp/character/jedi1.html#yoda

それなのに、それなのに。

今朝見た“仮面ライダー龍騎”には、その『老賢者』たる存在が皆無である。

初期の仮面ライダーには、喫茶店のマスターなど、そういう存在のかげりは

あったのだが、今のライダーにはそのかげりさえなくなってしまった。

悲しいかなこの現象は、日本の教育の荒廃と呼応しているのだろう。

若者や少年に媚びを売る社会がいつのまにか形成され、年寄りの話を聞かない文化に

真の繁栄はないと思う。とくに大戦争を経験した人たちの話しに

今耳を傾けようとしなければ、世界一の油田を失うよりも大きな痛手を

日本文化は背負うことになるだろう。

なんて思う今日このごろ、とてつもなく熱い!

 

 

 

 

-------------------2002年7月20日--------------------

紫松窯の焼成デモのページ新規更新しました。

新規入荷品も更新しました。

ご覧下さい。

-------------------2002年7月16日--------------------

今日は台風一過。夕方にはすばらしく澄んだ空を見れました。

ということで、河井寛次郎の自筆ノートより抜粋の名文。

 

雲は空が好きだ   浮いていられる処だからだ

雨は土地が好きだ  降って落ちれる処だからだ

自分はひとがすきだ ひとであればある程自分だからだ

          自分であればある程ひとだからだ

 

私の風はあなたのからだの中に吹く

私の雨はあなたのからだの中に降る

私の蕾はあなたのからだの中で咲く

 

以上抜粋

こんないい言葉たちから、あのいいかたちたちが生まれたのかと

感心する。すごいなあ。すごい、すごい!

 

“あなたのからだ”と河井寛次郎さんが言うときの“あなた”が
特定の“あなた”を指していると思うのなら、その考えは偏狭です。
河井寛次郎さんというひとを知らない人です。

 

-------------------2002年7月15日--------------------

だんだん増えていくんです。

お店の中に。

-------------------2002年7月14日--------------------

今日も炭燃料の陶芸窯『紫松窯』で焼成デモをしました。


クリックすると拡大画面。

 

『ビアカップ&蕎麦猪口展』も盛況のうちに終了しました。

樽見 浩さんも駆けつけていただき、きょうも賑やかな店内でした。

特に

犬で…

 

それに…

 

 

-------------------2002年7月13日--------------------

炭燃料の陶芸窯『紫松窯』で焼成デモをしました。

下の画像は、火入れから4時間後の窯だしで、

たった一回の窯分ですが、けっこうなボリュームが焼けるでしょう。


クリックすると拡大画面。

明日もやります。

 

-------------------2002年7月12日--------------------

暑い日でした。

けれど、冬も夏も、いつだってとても暑いところで働いている人を、

数人知っています。が、その中でもとりわけ人間自身が熱いのが、この人。

松田将英さんだ。

この人は、1年半前に一度しかお会いしたことがないのだが、

とても情熱的で優しい方。大阪で大型炉を製造している(株)マツダの社長である。

通称、将さん。この方が、炭の燃料による陶芸窯の『紫松窯』の発明者であり、製造者。

この窯は、炭だけで、しかも自然吸気で1300度以上をだすことができ、

登り窯や穴窯のような本格的な薪窯の味わいをだすことができるのだ。

私もこの『紫松窯』に出会う以前は、ずいぶんと七輪陶芸的な試行錯誤を

重ねたが、これに出会ってからは、ドライヤーなどによる強制送風の七輪陶芸に

魅力がなくなってしまった感がある。

そのデモンストレーションを明日(土曜日)DENの横の2坪ほどの空き地でやるので、

興味のある方は、いらしてください。AM11:00頃からやってます。

雨天中止です。日曜日も晴れればやります。是非!

             ↓は、横型紫松窯によるカップ。クリックすると拡大画面。

★将さんのHPはこちらhttp://www.dab.hi-ho.ne.jp/kabumatsu/

★当サイトの『紫松窯』の紹介ページはこちら。

 

 

 

-------------------2002年7月11日--------------------

今日、ご来店くださったお客様の中に

最近陶器を好きになり、陶器の魅力に深く動かされている男性のお客様がいます。

その方は、ほんとにお好きなのがよくよく見てわかります。

陶器を持つ手でわかります。いとおしいものを抱くようにお持ちになります。

それは、まったく自分の姿を見るようです。

陶器に魅せられた者としての同族意識を感じてしまうのです。

うちのような陶器店でも、ほんとうにそんな意識を感じてしまうお客様は

稀であります。普通のお客様は、形や色や柄を見ています。

でも、今日のお客様などは、形や色や柄を見る以前に、そのうつわが

持っている“気”のようなものを見ているように思うのです。

あるいは、背筋の皮膚でうつわを見るとでもいうのでしょうか。

触感的な視覚を超えて、霊的な視覚の持ち主のような気がします。

 

しかしながら、陶器屋としては普通の方に見えないもので、商いしても

利益には決してつながりません。そこが難しいところです。

そこが趣味と商いの違いだと最近感じております。

今日このお客様にお買い求めいただいたもののひとつがこれです。


     ↑クリックすると拡大画面

この粉引の蕎麦猪口は、いっぱい気を出してるように思います。

でもあまり一般ウケしにくいかもしれません。

それでも胸をはって売れる逸品だと思います。

 

 

-------------------2002年7月9日--------------------

以下は良寛の歌。

沫雪の 中に顕ちたる 三千大世界 またその中に あわ雪ぞ降る

(あわゆきの なかにたちたる みちあふち またそのなかに あわゆきぞふる)

ミニ世界のさらにその中にまた世界があるという曼陀羅を詠んだ歌です。

私も陶器をたいへん近くで見るのが好きです。

普段見えないような、美しい世界があるからです。

それをほとんどの人は見のがしているように思われます。

逆に言えば、自分だけが知ってる美のような気もしてくるのです。

見つけてしまった美とは、自分が創造した美とも思えてきます。

たとえば花入れが、床の間に飾ってあるとすると、

まず居間全体に調和する美があり、

床の間の空間的美があり、

生けてある花との調和する美があり、

花入れ独自の形体の美があり、

花入れをつくる細部の美があり、

さらにミクロの美もある、という具合に…

美の連鎖の果てに、またその居間全体の美を再発見したりするものです。

 

 

さて、谷田部まり子さんのミニ器の展示販売をはじめました。

新ページをつくりました。ご覧下さい。

 

ビアカップの中に顕ちたる 三千大世界 またその中に あわ雪ぞ降る-den-

 

-------------------2002年7月3日--------------------

『ビアカップ&蕎麦猪口展』の前夜であります。

だいたい用意が出来ました。

あとは真ん中に、金魚の鉢と

加古さんの二段組ビアカップに入れるドライアイスを

用意するくらいなもんです。

たくさんの方のご来店を心からお持ちしております。


 ↑クリックすると拡大画面

 

-------------------2002年6月29日--------------------

ビアカップ&蕎麦猪口展に飛び入り参加してもらった加古勝己さんの

ビアカップが到着。おもしろいのを紹介しましょう。


クリックすると、手に持ったところが見れます。

二段になっていて、下のカップの方には、ドライアイスをいれて

ケムリを演出するようなエンターテナーなビアカップ!

笠間の小峰尚さんの作品も到着。今回のビアカップ&蕎麦猪口展に

一部デビューお楽しみに!

-------------------2002年6月27日--------------------

ひるま、

こないだ買った手回しのえんぴつけずり

はじめてえんぴつを削った。

ぐりぐりぐりやったら

ぴんととがったヤツがでてきて

すげぇ〜なつかしい臭いを漂わせた。

むふぅ〜はぁ〜

おもわず思いっきり吸込んでしまった。

えんぴつの臭いってこんなに いいもんだったとは

ここ数年間忘れてました。

 

最近えんぴつ削ってますか?

 

さて、「おすすめの本」を更新しました。

 

-------------------2002年6月25日--------------------

昨晩『良寛と遊ぶ』“手塚治虫のアッサジと月の兎 焼き物屋の旦那”を

更新しました。

ちいと長いです。がんばりましょう!

 

-------------------2002年6月21日--------------------

梅雨あいまに見る緑はすがすがしいものだ。

長雨が空気中の塵を落として、緑を瑞々しく見せてくれるからだ。

そんな梅雨の時は、唐の王維の有名な漢詩が口をつく。

中国では現在でも送別の時、

必ずといっていいほど歌われる詩である。

 

元二の安西に使するを送る

 渭城の長雨 軽塵をうるおし

 客舎青青 柳色新たなり

 君に勧む更に盡せ一杯の酒

 西のかた陽関を出ずれば故人無からん

☆故人とは知人、友人という意味。
ひとたび陽関を出れば、知人はないのだから、
まあ一杯やれよってところだが、当時はかなり深刻な別れを意味したはずだ。

渭城は長安の西北に位置し、長安の西の砦を意味した。

渭城には家々もあれば、緑もあって美しいが、

ひとたび渭城を発てば、なんにもない。ただ砂漠が続くだけ。

さあ、この美しい風景を目によくとどめていきなされ!

って感じなのだ。

そう、

そこから西はいわゆるこわ〜い西域。

旅人は、まさに死と隣り合わせの旅をするのだ。

かつて日本にも遣唐使という命がけの旅があった。

親鸞や空海をはじめ多くの偉人が西へ向かう旅人だった。

そして今 

我々が命をかけて行くべき西域はいづこにあるのだろうか。

中国にあらずインドにあらず西欧にあらず米国にあらず…

ぐるっとまわって日本へ温故知新するのが、

西域への正しい旅のような気がする。

東の果てに在ってゴーウエストとは自己回帰と見つけたり。

 

-------------------2002年6月19日--------------------

日本が負けた。

そうワールドカップでトルコに負けた。

国歌斉唱の時からイヤな予感はしていた。

トルコの選手は大きな口を開けて堂々と歌っていたのに対して

日本の選手の国歌に正気を感じなかったからだ。

とても紳士的な戦いであったように思う。

死んでも勝ってやるっていう訳のわからない理屈は

日本選手にはなく、平常心で戦っていた。

爽やかな試合ではあったものの、心の隅に一縷のかげりが残る。

『秘すれば花なり』の花がないからだと思いあたる。

みんなあまりにクールだ。

長嶋も猪木も自分からファンを巻き込んで己の力にして

ファンをさらに乗せていった。

あの花がないのだ。

Jリーグを立ち上げた頃の花はどこにいったのだろうか。

今回、JリーグOBたちや元監督の解説の方が、

代表選手たちよりもずっとずっと熱いものを感じた。

選手が練習や試合で燃やすのは、肉体ではなく心だ!

選手の心が不完全燃焼では、一億のサポーターの心も燃え上がらないのだ。

見栄でもはったりでもいい。ど真ん中からドリブルでデフェンスを抜きさって

強引にシュートに持ち込むようなプレイを見たかった。

長嶋の大袈裟な空振りのようなもの。

それが花だろ。

 

-------------------2002年6月16日--------------------

今日は父の日らしい。

が、私には関係のない日である。

私はチチではなくトドだからだ。

ニッポンにトドの日はないのだから。

子供はたしかに二人いるが、そのチチとは

はたして私のことなのだろうか、日々悩む。

 

あさ、息子に対して

『おはよう!』って

元気よく挨拶すると

息子は正気のない声で、かろうじて

あ、あよ〜

って答える。

ニッポンの父は、はたしていなくなってしまったようだ。

アフガニスタンなどでは、いまだ父権が猛威をふるってるようだが…

サッカーごときで、道頓堀に飛び込むバカモノたちに、

大人たちは、みんなヘラヘラしているが、

そんな若者を怒りまくって罵倒するような

れっきとしたニッポンのオヤジ

ありやなしや

チチのヒ むなし…

 

 

-------------------2002年6月13日--------------------

今日は『私的ビアカップ考&蕎麦猪口考』なるものを書いてみた。

以前にこの『日々でん』で書いた事をもう一考してみた。

『ビアカップ&蕎麦猪口展』の話題提供にでもなればと思う。

-------------------2002年6月12日--------------------

今日は、敬愛する陶芸家のひとりである伊藤麻沙人先生のご自宅に

妻(=店長)と伺った。ずいぶんと御無沙汰していたのだが、

奥様とごいっしょに歓待していただき、

楽しいお話を山ほどお聞きして、すっかり長居してしまった。

ほんとに多忙な先生だが、私どものような若輩の世間知らずにも、

丁寧に時間を惜しまずにいろいろ話して下さった。

先生の陶芸の作風も、先生の生きざまと共に、少しづつ変化されていて、

私にとっては、その変化を感じられるのがうれしく、

いっそう先生のお人柄とその作品が好きになるのだった。

これからもずっと、先生の偉大な足跡を我が人生の道しるべとして

何歩も下がってついてゆきたいと思うのでした。

 

茶器を数点お預かりしてきました。

おって紹介させてもらいます。

 

-------------------2002年6月10日--------------------

ワールドカップで日本代表が、ロシアに勝って史上初の勝ち星を

あげた昨晩の試合をテレビで見て、私は改めて思いました。

観衆の応援がどんなに力をもっているかということです。

地響きするようなサポーターの声援は、大きな力となって

目に見えるように日本選手を後押ししていました。

こういう現象を白日のもとに見る事はあまりないので、

感激もしますが、反面恐ろしい気もしてきます。

みなさんが熱狂しているときに、水をさすようで

大変恐縮ではありますが、おそらくは戦争もあんな熱狂の延長線上で

英雄的人格を後押しして興るような気がするのです。

 

人の声は、とても大きなエネルギーを秘めています。

一丸となった巨大な声援は、奇跡と思えるようなことも

可能にしてしまうほどです。だから逆に誤って使われると大きな過ちを

犯す事もあるを忘れててはいけません。

 

空海に、こんな有名な言葉があります。

五大に響きあり、

十界に言葉を具す

  六塵ことごとく文字なり

 法身はこれ実相なり

                (声字実相義)

言葉の偉大さと恐ろしさを知り、

真の言葉と共鳴しあうことが、大切でしょう。

先日、買った『声に出して読みたい日本語』って本も、

声に出すということの大切さを思い起こさせてくれ、感心しました。

また、

私の趣味である詩吟も声の力を信じて鼓舞する芸能です。

多くの人に、嗜んでもらいたいものです。

なにはともあれ

っま、とにかくここ数日は

がんばれニッポン!

と共に叫び、

共にその響きに酔いましょう!

 

 

-------------------2002年6月1日--------------------

6月になりました。6月には青葉祭があります。

私も最近知ったのですが、弘法大師 空海様の

生誕を祝うこのお祭りが各地で行われているようです。

空海は西暦774年の6月15日に生まれたことになっていて、

それを祝う真言宗系のクリスマスみたいなもんでしょう。

私も川崎大師(平間寺)のある川崎の住民ですし、

お店はここ青葉区(関係ないか?)にあるわけだし、もともと

空海は大好きなので、青葉祭りってものを今年は意識して

見てみようなんて思っています。

 

ちなみにお釈迦様の生誕を祝うのは、はなまつり。

それは4月8日で、やはり花(桜)がきれいな頃だから、こう呼ぶのでしょう。

青葉祭もまた、新緑の映える季節にちなんでこう呼ぶのでしょう。

3月はももの節句。4月は、はなまつりで桜。5月は端午の節句で菖蒲!

そして6月が新緑が目に眩しい青葉祭となるんですな〜

日本人がいかに自然と共に生きていたかが偲ばれますね。

(ちなみに私は5月15日で40才になりもううした。関係ないか)

さて、

ちょっと関係ないよな話ですが、手塚治虫の『ブッダ』ってマンガが、

再出版の低価格でコンビニとかで売ってまして、きのう買いました。

5月31日発売の巻は、ちょうど悟りをひらかれるところの話しです。

私が今日出会ったのは、手塚治虫の仏陀ですが、今日この日本では

無数の仏陀に出会うことができます。

また無数のキリストにも。無数のマホメットにも。

しかしどの仏陀(あるいはキリストやマホメット)に出会うのかは、

あらかじめ決まっているような気がします。

出会うべきして、出会うのです。

逆に言えば、出会いたくないもんには、出会わないのです。

そういうわけで、私は今日また(二十数年まえにも読んでる)手塚治虫の仏陀に

出会ったと思われるのです。

 

おう、そうか今年はジャイアンツ優勝か!

ブッダがつぶやいたように聞こえたのでした。

これも出会いというもんでしょうね。

 

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過去のでんチャン2002年4-5月に行くんか?

過去のでんチャン2002年3月に行くにゅ?

過去のでんチャン2002年2月に行かない?

過去のでんチャン2002年1月に行くん?

過去のでんチャン2001年12月に行く?

過去のでんチャン2001年11月に行くの?

過去のでんチャン2001年10月に行けば?

過去のでんチャン2001年9月に行くん? 

過去のでんちゃん2001年8月へ行くう?

過去のでんチャン2001年7月を行くか?