日々のでんチャン
-------------------2001年10月31日---------------------
今夜の月は絶品でした。
夕方5時には、北東の空に堂々と現れたが、
何か十五夜の月より悲し気な雰囲気がある。
暦では、今年29日が十三夜ですが、
見た目には、今宵が満月だと思う。
みごとな名月でした。
さて、
なごり
ということばが、ありますが
十五夜を愛で、満喫しながらも、
まだなごり惜しむ気持ちが、十三夜の月見を
生んだのでしょう。
良寛の歌にこんなのがある。
風は清し月はさやけしいざともに踊り明かさむ老のなごりに
そして良寛の父 以南(良寛の生前に入水自殺)
の遺句にこんなのがある。
荒海や闇をなごりの十三夜
生きることのなごりは、
生を飾ることでなく、生き抜くこと。
以南の句は耽美主義的だが、
良寛の歌は、何の飾り気もなく
生きる決意が詠まれてる。
その良寛の最後のことばは、
『死にとうない・・・』
っていうのは有名なはなし。
そこに死への恐れは微塵もなく、
ただただ生のなごりがある。
そんな私はこんな良寛が好き。
十三夜 悲しきの月と言われども
今宵この月 踊れ良寛 -den-
---------------------2001年10月30日---------------------
昨日が陰暦の9月13日すなわち、
十五夜に並ぶ名月、十三夜にあたるそうです。
でも十五夜にしても十三夜にしても、
ほんとの満月でない場合が多いそうです。
きのうの月もどうも満月には見えなかった。
明日の月が、ほんとの満月なのではなかろうか?
十五夜(中秋の名月)の月見は、中国で始まった行事らしいが、
十三夜は日本独自のものらしい。
十五夜は皆お月見で騒ぐが、
十三夜はメインでないところが、
My moonみたいで、うれしい気がする。
君の目に映る月ならMy moon
ひとみが月に 月がひとみに -den-
---------------------2001年10月29日---------------------
昨日は、久々に子供とお出かけしました。
もちろん妻は、DENに出てますので、
行かれませんでした。
雨だったので、バッティングセンターと
本屋と映画にいって来ました。
映画は千と千尋の神隠しです。
とても素敵な映画でした。
なんとなくネバーエンディングストーリーに似てなくもないが、
シンボリックな日本的情緒が冴え、しかも
ブレードランナーのような
無国籍的な自由に満ちた秀作だと思いました。
でも、傑作とは言いがたく、
予告編のハリーポッターの強烈な映像に対して
やや色褪せた感じもしたのは事実です。
この興行的成果を糧に、より素晴しい映画を期待します。
さて、
DENは本日、浅井竜介展を無事、盛況に終えました。
今度は、11月10日からの長谷川美知子展をお楽しみ下さい。
また、暮れの企画展
よろしくお願いします。
---------------------2001年10月27日---------------------
今日は結婚記念日らしいです。
毎年やってくるのですが、
三年に一回くらいでもいいのではないか、
なんて思うこともあります。
が、
ちょっとしみじみとしてしまう気分もあります。
12年前いっしょに苦労
するか?と言った通りの半月
二人でながむ -den-
苦労ばかりの半月ような結婚生活だけど、
今宵の半月はきれいに見えてよかった。
---------------------2001年10月26日---------------------
友人のすばらしいホームページが閉鎖するそうです。
どんな事情かはわかりませんが、このホームページで
多くの人が癒されたのは事実だと思うので、
たいへん残念です。
友人が、なんかわけのわからない困難にぶちあたっている時、
私はこの詩を口ずさんでいるときがあります。
---------------------------------
心に太陽をもて (フライシュレン)山本有三訳 心に太陽を持て あらしが ふこうと ふぶきが ふこうと 天には黒くも 地には争いが絶えなかろうと いつも 心に太陽を持て くちびるに歌を持て 軽く ほがらかに 自分のつとめ 自分のくらしに よしや苦労が絶えなかろうと いつも くちびるに歌を持て 苦しんでいる人 なやんでいる人には こう はげましてやろう 『勇気を失うな。 くちびるに歌を持て。』 『心に太陽を持て。』” |
私の父は太陽のような人でした。
母はお月様のような人でした。
私の心には、ありがたいことに
いつも太陽と月がいてくれる。
---------------------2001年10月25日---------------------
そば屋でニュートンという科学雑誌を読んだ。
羽毛恐竜のこと。
文字どおり鳥類のょうに羽毛が、全身にはえている恐竜の化石が
ぞくぞくと発見されてきているそうだ。
問題は、そうなると鳥類との区別がほとんどなくなってしまうこと。
“飛ぶ”という行為以外に、羽毛恐竜と鳥類を別ける基準がみつからないのだ。
逆に言えば、鳥類こそ恐竜の生き残り。恐竜のまったき子孫ということになる。
きのうロボットの心のことを書いたが、
ロボットに心が芽生えて育ち、
一方で、人間の身体の一部が機械化していくようになると、
人間とロボットの境目はどんどん曖昧になっていくだろう。
たとえば
私はひどい近眼で、ひどい乱視だから
メガネはかかせないものになっている。
身体の一部となりつつある。
機械の手足や内臓をもつ人はなおさらである。
コンピューターと人間の脳が物理的につながって、
ひとつの仕事をする時代はもうすぐだろう。
そういう時代になっても恐れる事はないと思う。
すべては心なのだから。
心はどんな乗り物にも乗る。
うつわにも、人間のからだにも、機械にも、地球にも。
巨大な恐竜はすべて死に絶え、
空に憧れた身軽な羽毛恐竜だけが生き残り、
やがて鳥へと進化していったという物語は、
とてもロマンチックだ。
この事実を手塚治虫が知ったのなら、
どんなにか創作意欲を刺激したことだろう。
私も、この物語に
心(空に憧れた心)が、
質量を凌駕してしまうことわりを見る。
鯨が海に帰ったことも、また全く同じことわり。
海に憧れた心が、質量を凌駕した美しい物語。
手塚治虫のようにロボットに憧れた心もまた、
ロボットと共生する夢のような生き物を生み出すのだろう。
検索で出逢った素敵な詩。是非↓
http://homepage1.nifty.com/tum/poetry/kujira.html
業務連絡:お客様ボードを設置しました。
商品の質問や、展示会の問い合わせなどに御活用ください。
---------------------2001年10月24日---------------------
手塚治虫のロボット傑作集をコンビニで買った。
今、手塚治虫のロボット作品を読み返すと
SF的な好奇心は、ほとんど刺激されずに
哲学的な思考ばかりが刺激される。
手塚治虫は、ロボットが心を持つ物語によって、
我々に何が言いたかったのだろうか。
ロボットはつまるところ、
無機質な“物”の象徴なのだろうと思い到る。
“物の心”みたいなものが、手塚治虫の究極的なテーマ
だったのではないのだろうか。
この地球の太古に、無機物から有機物が生まれて数千万年?
今現代では、科学の発展により有機物である人間が
無機物であるロボット(機械)と同化、共生するようになっている。
機械の心って、何か無気味な感じがするけど
日本文化が、道具にこころを感じていたように、
心を持って接すれば、機械も心を開らくのだろう。
アトム(原子)と火の鳥(超エネルギ−体)と
ブラックジャック(人間)とバンパイヤ(怪物)を
繋いでいくものは、“こころ”だと思う。
卑小で心がなさそうなものにも、宇宙を包み込むような心があるのだ。
そう、手塚治虫は教えてくれる。これからもずっと。
こちらのHPも“物の心”“うつわの心”が主題のサイトです。
そして、手前味噌ではありますが、ご覧になったことがない方は
是非弊HPのうつわのことも合わせて見てください。
ロボットの心をのぞく節穴くらいには、
なるやもしれません。
---------------------2001年10月23日---------------------
今日は、また一段とひどい肩凝りに悩まされ、
気分の晴れない一日でした。
私は、学生のときから、肩に脱きゅう癖があって、
しかも腰に椎間板ヘルニアをかかえていて、
しかも扁桃腺が弱く、
しかもひどい乱視で、
しかも挫傷で動かない人さし指がある。
すべて、肩の血行を悪くしてるような気がしてならない。
ツライ。
そういって指折り要素を数え上げていたら、
妻が、人さし指でこめかみを指差して、にやりと笑いやがる。
『頭もでしょ』と言いたいらしい妻には、
私の肩凝りの苦しさはわかるまい。
子供の肩揉んでうらやむ
戻りたや 柔きからだと柔きこころに
---------------------2001年10月22日---------------------
しばらく前から、トイレの戸棚の隅に
『無限、宇宙および諸世界について』
という文庫が、置いてあって、
一ヵ月に一回くらい手にとってみる。
今日も一ヵ月ぶりくらいにその文庫を手にした。
その表紙には、
『コペルニクスの死後、南イタリアに生まれたジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)は、修道士であったのもかかわらず、キリスト教の教義に疑問を持ち、宇宙の無限性を主張する独自の宇宙論を展開した。そのため、異端審問所によって幽閉されたのち焚刑に処せられた。しかしその著作は、4世紀を経て、なお生き続けている。』 |
と書かれていているその文字と
本文の序文の最後に掲げられた詩文ばかりを、私はそのたびごとに読み返している。
全文は、読む気がしないものの、その序文の名詩は何度読んでも心にしみる。
『 -略- 翼を与え、心を、燃えたたせるのは誰か 運命をも死をも恐れさせぬものは誰か あの鎖を解き、あの堅牢な扉を こわして外に出してくれるものは誰か 世紀、年、月、日、時 時間の娘と兵士ども-そしてこの 館には鉄もダイヤも通用せぬ それを可能にするのは情熱のみ そこで私はしっかと翼をはって空中にとび立つ 水晶の壁もガラスの壁も恐れずに 空を切って無限へと翔ける この星からあの星へと昇り エーテルの野を通ってさらにその彼方へとわけ入る かつては遥かに仰ぎ見たものどもを背後に残しながら』 |
とても美しく真理を表現したこの詩が、
私は大好き。
ガガーリンが『地球が青かった。』と言った4世紀前に
すでにイタリアの一修道士が、自らの想像力で飛び立ち、
地球の大気圏を突破し、地球をひとり悠然と眺めている。
実に悠々としてカッコいい!
ブルーノのような想像力で私達は今、宗教の壁を超えて
宇宙の真理に近付き、ひとつになって世界の平和を願いたいものだ。
な〜んて突然宇宙的発想に到ったのは
今日宇宙から来た陶芸家に会ったから。
その名を勝田友康という。
月の裏側には、巨大隕石が衝突したような
ジョルダーノ・ブルーノと名付けられたクレーターがあるそうな。
私が、そのうちに
渦巻きのろくろめのクレーターを月に見つけたら、
勝田友康と勝手に名前をつけよう。
勝田友康というクレーターに関しては
のちのちお話することになるでしょうから、今日はこれで。
---------------------2001年10月20日---------------------
久々に子供をおもいっきり叱ってしまった。
私が叱ると三軒先までは確実に、聞こえてる。
今夜は玄関の外まで引きずり出して、
帰ってくるな!とまでやったから
五、六軒先までびっくりしていたかも。
私は子供を叱ると決まって、自分の叱られてた昔を思い出す。
特に、父の大きな手を思い出す。
板金屋だった父は、普通の人の手の二倍の厚みがあった。
グローブのような手という表現があるが、
その文字どおりの手だった。
そのむかし板金屋は毎日拍子木で鉄板を加工したし、
厚板もはさみで切ったから、できる職人は決まって巨大な手をしていた。
それにひきかえ、私の手は華奢すぎる。
子供を殴る前に、わからせるには軽薄すぎる。
あの厳しい手を前にしては、殴られる前に
なんとしても、改心の謝罪をしなければならなかった。
そんな無言で多くを語る手は、私にはない。
だからこんな書き汚しでも、書き続けてるのかもしれない。
かたみとて何か残さむ父は手で
君は瞳で僕はことのは -den-
---------------------2001年10月19日---------------------
今夜テレビを見ながら、夕食をしてしまった。
いつもは、夕食時はテレビ厳禁なのに。
家族が大好きな『珍プレー・・・』をやっていたからだ。
そうすると、子供達はいま何を食べているのかさえ、わからなくなってしまう。
いつも子供には、
『食べてる時は、食べてるものの色や形をよく見て食べろ』
と言っている。
無造作に食べてしまうと、どんな色のどんな形のものを食べたか
全然印象に残らないまま、胃に入ってしまうからだ。
それは、食べ物に対する傲慢な態度だ。
それに
育てた農家や捕った漁師や作ったお母さんに対する思いを
だいなしにしてしまう。
盛られたうつわも同じ。
見るだけで無く、うつわも味あわなければいけない。
ここにブルーの片口がある。
浅井竜介作 片口
これをよく見もせずに、この色はね〜と敬遠してしまう人が7割。
そうした瞬間に、このうつわとはおそらくずっと
対峙しないことになる。
もっともっと正面から接近して味わうと
別の世界があるというのに・・・
↑クリックして!
そういえば、新庄という選手もずっと阪神にいたら
その真価を見のがしていたかもしれない。
今日の『珍プレー・・・』で一層
新庄という選手が好きになった。
うつわが変わると(阪神→メッツ)
食いもんもうまくなる!
がんばれ新庄!
---------------------2001年10月18日---------------------
よこしまな想像をしてしまった。
アメリカで起こった事件すべてが、仮想現実なのでは?
なんて思った。
ほんとは、今も世界貿易センターは立っていてるのでは?
被害者にしてみれば、ほんとによこしまな想像だ。
けれど、テロリスト側の映像に暗号?とかという報道を
聞くににつけ、それこそ大国アメリカならば、
あの一連の事件を特殊映像と大規模な情報統制によって
でっちあげることだって可能だろう。
ほんとにヨコシマな想像だ。
そんなことを思いついてしまったのは、
今朝の新聞。
“幼稚園や小学校のイベントでのビデオなどによる父母の撮影が、
本来のイベントの目的を疎外していることに気付いて、
撮影を自粛する運動が広まりつつある”
という記事を読んでしまったから。
私も撮影自粛に大賛成!思い出は、その一瞬で
心に刻むものだ!
それがどうしたことか、
撮影道具の発達によってか、映像至上主義に陥ってしまった。
撮影のための運動会、
撮影のための発表会みたいになって
心が盲目になってはいなかったか。
その裏返しに、あのアメリカの一連の事件が
映像を駆使したでっちあげだとしても、
あたまソニーな日本人は、誰も疑わないだろう
なんて想像してしまったのだった。
現代人は自分の死さえも、
二次的な映像で見ないと落ち着いて死ねないのかも。
自分の死をテレビで見てから
落ち着いて死ぬ ラジオはジャズ
ーdenー
---------------------2001年10月17日---------------------
くつした立ってる洗濯機の中妻に言うまい-den-
今朝洗濯機の中を覗いたら、たっぷりの水の
ど真ん中にわしの靴下が、茶柱よろしく立っていた。
おもしろいから妻(denden)に教えてあげようと思って、
思い返した。
“茶柱がたっているのを人に言ってはいけない”
と言うからなぁ。
たぶん、妻はそれをそれと思わずに、いきなりスイッチいれただろう。
しめしめ。
---------------------2001年10月16日---------------------
きのうある市立中学校で工事していて思った。
おれらの中学校のときより、まるで活気がない。
その中学校は、校舎を新築したばかりで、
校庭も整備していて、グランドはあと数日で
二年ぶりくらいで使えるようになる。
その間学生は、近くの小学校などを借りて体育や
部活動をやってきたわけだ。
なんと不憫なことか。
私などは、中学校のグランドには山程の思い出がある。
バスケット部だったが、体育館を使えるのは週に一度だけ。
ほとんどグランドのコートで血みどろになって練習していた。
全員五厘刈りで、奇声をあげながら切磋琢磨していた。
それが昨日の行った中学校には微塵もなかった。
そのかわり、不良=ツッパリの類いもほとんどいなかった。
ほんとに真面目そうな学校だった。
合唱コンクールの練習はみんなお行儀よく熱心にやっていた。
聞けばこの学校も、十数年前には結構荒れたらしい。
それがどうやら押さえ付けられて、この有り様のようだ。
おれらの時はまだまだ
ツッパリもいて、ガリ勉もいて、豪快な先生も、ひねた生徒も
たくさんいた。どうやら今は、優良とされる学校には
普通のまじめな学生しかいないような気がする。
それにしても自分らのグランドのない中学校生活って
どんなに味気ないものか。
グランドの隅に大きな立派な桜の木がある。
その中学校は昔、兵舎のあった土地で、
その桜の根元には戦死した多くの兵士の遺品が
埋まっているそうである。
その霊たちは、この今の軟弱な学生達を
どのように見ているのだろうか。
グランドの最も熱き場所に寝て
マスターベーションした日はいづこ
-den-
---------------------2001年10月15日---------------------
新発売の発泡酒ダイエットを飲んだ。
肉体労働をしたあとだったせいか、かなりうまかった。
きっとこの商品はヒットするだろう。
それにしても現役の総理大臣の息子が、
一企業のCMに出演してもいいのだろうか。
世間は許しても、でんチャンはしっくりいかない。
売れそうな商品のCMだけになおさら。
有名な父親の息子がCMデビューで
タレント(俳優?)めざすなんて、一番簡単じゃん。
せめて映画とかの端役出演でデビューしてほしかった。
そういう意味では、陶芸家浅井竜介さんも
写真家淺井愼平の影を若い頃から背負ってきただろう。
だいたい有名陶芸家に師事する者が、師匠を超えるのは
並み大抵のことではない。
それが父親であれば、なおさらである。
彼は陶芸家でありながら、
おそらくは写真家淺井愼平に
挑まざずにはいられないのだから。
皮肉な事ではあるが、師匠を超えるには、
愛だけではダメで、憎しみにも似た
嫉妬感が必要な気がする。
ちなみに私は、父にそういう感情がまったくなかったので、
亡き父親を超えるのをずいぶんまえに諦めている。
しかし、
陶芸家浅井竜介には是非、父親を超えるうつわに
なってもらいたいものである。
それには、血の滲むような鍛練が必要かもしれないし、
あるいは全く逆で、天衣無縫な自由な精神から
突如として生まれてくる何か、かもしれない。
いずれにしても、並み大抵でない。
けれど
山は大きいから登りがいがある
のである。
日帰り子供用ハイキングコースを行く私には、
そんなこたー言う資格ないけど・・・
これからも陶芸家浅井竜介を
ワクワクしながら見つめていきたいものだ。
小泉 孝太郎もついでに。
---------------------2001年10月14日---------------------
今日は、陶芸家浅井竜介さんの個展に
たくさんのお客さんがいらっしゃいました。
今日は、浅井さんのお得意の抹茶茶碗をお見せしましょう。
↑クリックするとカラーで拡大
どうです、すごかったでしょう。
その名は巌穴。
お値段は9万円です。
では。
---------------------2001年10月13日---------------------
今日からDENでは、陶芸家浅井竜介さんの個展がはじまりました。
個性的な色使いと大胆な造型は、お父様の淺井愼平さんの遺伝子か。
↑クリックするとカラーで拡大!
特に花器は、花を殺さず生かすのに、それ自体に
迫力を感じる。これからが一層楽しみな陶芸家である。
今回は食器中心だが、いろいろなものが見てみたい。
---------------------2001年10月12日---------------------
きのう、
さわらぬ神にたたりなし
と言ってアメリカへの援助に疑問を呈したわけですが、
すかさず今朝の読売新聞には、
下記のような一国平和主義に反発する
会社的提言が一面に掲載されていた。
「一国平和主義」意識を捨てよ ・ ・ ・ ・(略) 島国に住む日本人の日常感覚には、 ・ ・ ・ ・(略)-読売新聞10月12日一面-
「危険なところに近づきさえしなければ安全だ」
「こちらから攻めさえしなければ、攻められることはない」
といった楽観的な思い込みが根深く潜んでいる。
これが、自国だけ平和で繁栄すればいいという
「一国平和主義」の土壌にもなっている。
ラジオ、テレビも一般的に援助活動の不備や遅れを懸念する発言が多い。
しかし待て、
一国の平和を礎にして、世界平和があるのではなかろうか。
全人類の心の平安は、一個人の心の平安からしか生まれないのではなかろうか。
日本は島国である。
島国でないように振るまえってぇ〜のは無理である。
ゆえに島国根性も持っている。
いやいや、
そういう偏狭な感情さえも、
大事に育ててきた国なのだ。
入れものが無い
両手で受ける
と詠んだ尾崎放哉は小豆島の土地と人を愛して死んだ。
いにしへにかはらぬものはありそみと
むかひにみゆる佐渡のしまなり
と歌った良寛は、母の生地を生涯母のように愛し続けた。
我々は島国で育ち、島国の情緒に感じ、
その温厚な性格を育んだのである。
この場におよんで、大陸の羊となれ!と言っても無理ではないか。
虎に喰われるだけではないのか。
島国根性の平和主義で悪いのだろうか。
きのうの深夜零時半の月は、東の低い空に
とても優しげに、私達に平和の水を注いでる
“うつわ”のようでした。
↑こんな感じ。
この月が、
刃物と見える民族もいるかなぁ
---------------------2001年10月11日---------------------
あの忌わしい日から、一ヵ月が立ちました。
忌わしいと書きましたが、それは災害の状況が
報告されてきて、次第に感じられてきたことで、
あの衝撃的な映像を始めて見たときは、
驚きと共に、心の奥の方で
何かが小躍りするのを感じた。
そんな子供じみた感情を暴露してしまうのは、私ぐらいでしょうが、
きっと多くの人も、同じような感情を抱いたのではないでしょうか。
子供にはじめて積み木を与えると、
決まって、どんどん上へと積んで高さを競う。
『ママ、ママ見て見て!
どう、高いでしょう!』
ってな具合で自己を顕示するわけです。
そして
次はこう。
『ママ、ママ見て見て!
いくよ〜!バ〜ン!』
積んだ積み木を破壊するわけです。
破壊の快感に酔うわけです。
これってひとりで遊んでるうちは、かわいいものですが、
兄弟でやると必ず喧嘩になります。
たいていは、弟の方は破壊に走ります。
お兄ちゃんより積み木を高く積むことができないからです。
それで、お兄ちゃんが慎重に高く積んだ積み木を
横から行って、バーンと倒してしまう。
そうやって兄弟喧嘩は開催されるのです。
そんな子供の喧嘩のようなことが、地球規模で起こってます。
そして、私自身の心の中にも
そういう破壊を快感と感じる感情が
潜んでいることを再認識しました。
恐ろしいことですが
それを認めて受け入れて、用心しなければいけません。
私にはそんな感情は、これぽっちもないと決めつけてる人が、
いきなり手のひらを返す場合が多いんじゃないでしょうか。
それは宗教に免疫のない人、あるいはバカにしている人が、
特殊な宗教にいきなりハマるのに似ていると思います。
宗教は、何千年もかかって積み上げられた高い塔です。
けっしてバカにしてはいけません。
同じように自分の心も侮ってもいけません。
今、
この世には、真っ赤になって怒ってるお兄ちゃんに
『お兄ちゃんなんだから、
我慢しなさい!』
って言ってくれるお母さんはいないし、
『喧嘩するんなら、
この家から出てけ!』
っていうお父さんもいない。
もちろんキリストもマホメットもいません。
だから
私は日本は断固として中立を守るべきだと思います。
仏教徒が国民の大半をしめる国として。
そうしないと、イスラム諸国は
間違って団結してしまうかもしれない
そんな気がしてくるのです。
むこうからすれば、
十字軍の最後列に、なんでノコノコ日の丸坊主が着いてくるんだ!?
って思うかもしれない。
さわらぬ神にたたりなし
とはどこの国のことわざだろうか
---------------------2001年10月10日---------------------
今日はこの季節で統計的に一番雨が無い日なのだそうです。
それで、東京オリンピックの開会式に選定されたのだそうです。
なのに今日、思いきって降ってます。
滝のよう。
東京タワーの上半分がぜんぜん見えなかった。
今日は雨で思わず時間があけられたので
軽トラックを飛ばして、三越本店の阿部和唐 陶創展に行ってきた。
いつも三越に軽トラックで行くと恥ずかしいのだけれど
今日は駐車場への車が列んでいたせいか、誘導員に
列ぶんじゃねーぞって感じで、はじかれてしまった。
この大雨のなか、それだけ今日の三越は混んでいた。
催し物もたくさんやっていて、
よい意味で、商魂のたくましさが感じられた。
長嶋茂雄写真展とか北海道大収穫祭とかマグナム.フォト創設55年記念展とか
三越歌舞伎とか、とにかくいっぱいやっていた。
そういや昨晩、NHK教育で江戸の商人のことをやっていて、
三井越後屋の話しもやっていた。
江戸の中期にはすでに何百人もの奉公人がいたようである。
しかも、代々受け継がれてていく家伝書にみたいなものがあって
そこでは、ハイリターンだがハイリスクな大名貸しを
たしなめたりしてることを例にあげていたりした。
それに比べてそごうの歴史は170年あまりだろう。
(とはいってもたいした老舗だ!)
三井(三越)はたぶん、その二倍ほどの歴史だろう。
歴史の長さで比較する気はないが、
デパートも中に入れば、対応する店員で
店の力量がわかるというものである。
そういう意味でやはり三越恐るべしである。
うつわのみせDENの敵に不足はありぃやせん!
・・・
そうそう
阿部和唐さんの陶創展もすばらしかった。
人形作家のように思われがちであるが、
陶という素材に真摯に取組んできた
陶芸家の半生が見えるようである。
おすすめです。
残念ながら、買うには私などには
手が届きません。ご案内はこちらから
---------------------2001年10月9日---------------------
昨夜は、事情があって、ひとりでそば屋で夕食をとった。
そこで日経新聞のサイエンス欄に量子コンピューターなる文字を見つけた。
その記事は、量子コンピューターの理解のために、マンガのような図解を
掲載していたが、私にはまったく理解できないもの。
読みながら、なんかワクワクしてきたが、
よーく考えると恐ろしい気がしてきた。
この開発によって、全世界的な軍事力の優越がはっきりしてしまうかもしれない。
核ミサイルも確実に打ち落とせれば、敵国にないも同じ。
宇宙基地などをはじめ、軍事事情は一変してしまうかもしれない。
ますます、南北世界は対立してしまうだろう。
政治的なことばかりか、遺伝子操作なんかも飛躍的に向上するだろう。
あぁ
量子論は、ぼんやり聞いているとおとぎ話みたいで、
たいへん面白いが、現実的な効力をもってくると
大変おそろしいものに思えてくる。
我々がぼんやり考えてる間に、
コンピューター的思考は光のスピードで過ぎ去っていく。
歳月矢のごとしとは、ひどく悠長なたとえだ。
歳月が光速になっても、人はそれに見合うような
大きなうつわ(環境)を獲得できるのだろうか。
おそらくは、それは無理だ。
あるのは、いつまでたっても
自分自自身の生身のからだだけ。
まわりが光速で回転するからって、
錯覚してはいけない。
入れものが無い
両手で受ける
俳人 尾崎放哉の有名な句である。
世界が光速で進もうというこの時だからこそ、
この句のように
我が身に立ち戻って、今を味わいたいものだ。
私達は今 幕末の変動以上の時代の転換期にいる。
そんな時代に
ひとつ
ひとつ
陶器を売ってるしあわせ・・・
そば屋の隣の席で、パチプロみたいなやつが、
大変難しい言語でパチンコ理論を語りあっていた。
4万やって15万とか、何回マワッテいくらとか、理論上の確率とか・・・
私には、量子論と同じ程度難解なはなしだったが、
彼等もたった一個のパチンコ玉を
いつか、見つめるときがくるかもしれない。
手打ちならパチンコ
一個も生涯 -den-
---------------------2001年10月8日---------------------
今日はお店の模様替えをしました。
来る個展のためです。
したがって今、ヘトヘトです。
話は変わりますが、
この私共のホームページもようやく一人前のアクセスを
得られるようになりましたが、統計をとると
土曜日、日曜日のアクセスが平日に比べガタッと落ちるようです。
これは、主婦が平日は家族がいてPCの前に座れないこと。
それにお勤めの方の会社からのアクセスが減ることなどが考えられます。
このような傾向にでんチャンも対応してみることにしました。
つまり、日曜、祝日はこの“日々でん”もお休みとします。
みなさんも日曜休日はゆっくりお休み下さい。
この三連休ずっとお店に出てたでんチャンからのお願いでした。
---------------------2001年10月7日---------------------
今日はお店の横で、
炭燃料の窯“紫松窯”の焼成をやった。
久しくこの窯で焼成していなかったので、
お店のお客さんとかにデモする前に、
軽く実験するつもりで焼成。
焼いたのは、このあいだ七輪で焼くつもりでつくったぐい呑み13個。
漏れてしまうものもあったが、
でも、思った通りというのも、プロならうれしいかもしれないが、
私などには、想像以上か想像以下であってほしい。
土は信楽の黒みかげとかいう土と赤土少しまぜて、
けい石とはぜ石をたっぷり入れたが、
二度と再び同じ土には決して作れない。
釉も三号透明釉と天然骨灰をちょっとまぜてつくった。
それもまた、同じ配合には決してつくれない。
なのに想像通りってのはないよなぁ〜。
ちょっと凄い結果か、かなりダメな結果の方が
次に繋がるというものだ。だけど、家も三度建てて、
やっと自分の思い通りの家が建てられるというから、
炭焼きの陶芸で、いい加減な土づくりと
いい加減な釉つくりで、このように同じような結果が
でるということは、奇跡に近いような気もする。
結婚も三度くらいすると(←なんで結婚の例えなんじゃ〜!)
男も一人前の忍耐が身に付くような気もするが(←誰が忍耐の話してんじゃ〜!)
今日の陶芸のような奇跡的なことも世の中には
あるのだから、まんざら運命の赤い糸ってぇ〜のも
ありや?
なしや?
何がいいたいの?わし?
---------------------2001年10月6日---------------------
横浜のアート縁日に行って来た!
なかなか楽しめる良いイベント!
だめなものもあるが、いいものもある。
陶芸でもいい人と出会えた。
バカにならないイベントである。
こういうイベントが毎週近場であったら、
アート系の小売店はつぶれちゃうやろな、みんな。
ああいうイベントは見る人の力量が問われる?
いやいや、問われないのかな?
少し間違って買っても、もの自体はだいたい安いから
自分なりに楽しめば、それでいいのだろう。
(屋台のタイ風ラーメンはうまかった!)
場所も、なかなかのんびりしたいい場所だ。
来年は、金属アートで出場したろかな!
さて、
しゅふDEしぇふ更新しましたので、
見てくだせー。
今回は秋の行楽お弁当特集!!だよ〜
焼き秋刀魚のおいしい頂き方も必見!
---------------------2001年10月5日---------------------
垣根に植えてある金木犀が、いっせいに飛散して
橙色の細かな花びらが、アスファルトに染み込むようにひろがってる。
少し歩くと、いくつもそんなアスファルトに出逢う。
むせかえるような甘い香りを感じてわずか4日。
金木犀の香りは、花にとっては最後の自己主張なのでしょう。
桜以上にみごとな散り際です。
長嶋の監督引退とオーバーラップしてしまいます。
長嶋は桜のように可憐な最後ではなかったけれど
金木犀のように、せいいっぱい香りたった最後だった。
けれど残念ながら、花びらはアスファルトに落ちた。
できれば、土の上に落ち、大地へと帰りたかっただろうに。
世間は人気者のミスタージャイアンツにそれを許さないだろう。
日本のサムライや軍人は散り際のみごとさを尊んだ。
それは、それですばらしい男の美学だ。
でも、落ちぶれるまでやる美学もあると思う。
王監督は、ヤメロと言われるまでやりたい!
ときっぱりと言い放っていた。
そういう意味では、私も紫陽花や百日紅のように、
暮れる人生にしがみつくように、生き続けたいと思う。
というわけで、
今日は大好きな良寛の辞世の句と言われているこの句でお別れ
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ
---------------------2001年10月4日---------------------
昨夜の月も、一昨日以上に格別の月でした。
日増しに月が美しい。
おいどんに言わせれば
エレクトリカルだろうが、ドリームライツだろうが
わざわざ千葉まで行ってキラキラのパレード見るのなら、
家で横になりながら、月を眺めてた方が
どれほど心が洗われることか!
だいたいなんでも、新しくすればいいってもんじゃない。
温故知新とは良く言ったもんで、
ほんとうに古いものは、いま現れるものよりもずっといいものである。
なぜかというと時間という荒波に洗われてきているから。
あまりよくないものは、淘汰されて現代までに伝わらない。
クリックすると拡大で見れます。
↑数カ月前、骨董品屋で買った江戸初期?の陶片。
これは、箸置きにしようと思い買ったものだが、
こんな一片の陶のかけらから、現代陶芸の最先端は生まれている。
それは、ほんとにそう思う。
陶芸家の過去の名品への熱い思いが、かろうじて
行き詰まった陶芸界の突破口になっている。
焼き物は、土器→陶器→磁器という歴史的流れで発展してきたが、
それは、技術的進歩によってなされた技ではあるが、
別に精神的進歩がなしえた技ではない。
それを逆行するような精神性と、現代的な知識とが融合するところに、
陶芸ばかりじゃなく、本来的な人間の心の昇華があると思うだがなあ、わしは。
ちなみに今、
有名な焼き物サイトで陶片のいいページがあるので、紹介しときましょう。
『美濃の陶片』はすごいいい!
ふつう焼きものの写真では、全体のフォルムを見せるために
ややヒキぎみの写真になることが多いが、
陶片で見る写真は、焼き物の部分への思い入れができる。
しかも部分から全体が想像もできて楽しくなる。
あっしのサイトでも、同じようなコンセプトで
『陶の大地』っていうページがあるのでたまに見てね!
では。
(ぼくちんは、おいどん?わし?あっし?なんでもいいか)
---------------------2001年10月3日---------------------
昨夜の月はほんとに格別の月でした。
帰宅の途中に携帯電話で、自宅の息子に
『お月さまをみてごらん。一年中で一番綺麗なお月様なんだよ』
って言ったら、
『ほんと、きれいだ』
『お月様のなかに何か見える?』
『なんか、角が二本見えるよ』
『そうか、その角はうさぎさんの耳には見えないか?』
『う〜ん、そう、うさぎでしょ。うさぎに見えるよ』
こんな会話をしたが、あまり美意識を表に出さない蒔人(7才)が
ほんとにきれいって思ったようだったので、うれしかった。
月の模様も、ロールシャッハテストみたいなもので、見えるものは、
見る者の心の中にあるものでしかない。
角と見えるのは、お母さんの角だったのだと思う。
実際妻も、反抗期の息子にかなり手を焼いている。
耳が角 母は鬼にも兎にも -den-
日本では、昔から月の兎と言われるのは、今昔物語や
仏教の経典にでてくる逸話からだそうだ。
猿と兎と狐のとても仲良しの三人がいて、 それがどれほどか確かめようと、 天の帝が、飢えたおじいさんとなって現れ、 三人に、助けておくれと嘆願した。 猿は山から木の実をたくさん、 狐は川から魚を捕って持って来た。 けれど、うさぎは何ももってくることができなかった。 おじいさんは、うさぎは優しくないと罵った。 すると、うさぎは、猿に柴を持って来てくれ! 狐はそれに火をつけてくれ! と言うと、火の中へと自ら身を投じて、 おじいさんに捧げた。 それを悲しんだ天の帝であるおじいさんは、 その亡がらを、抱えて月に投じた。
そういう逸話があるから、今も月の兎ということになっている。
なんともけなげな兎の話である。
なんとも悲しい話である。
ぜんぜん関係ない発想かもしれないが、
幼児虐待で死んだ子供も、きっと天国では救われて
この世では、お星様に見えるんだ!
と思いたい。
思わずにいられない。
---------------------2001年10月2日---------------------
東の空は曇っていて、まだお月様が見れません。(6時30分)
南西の空は晴れているので、直に見えることでしょう。
さて、今日はやっと気持ちよく晴れたので、
押せ押せになっていた屋根の修理にいってきた。
カラーベストの古い屋根は、北面が苔むしている場合がある。
今日の屋根はそれ。そりゃぁとっても良く滑る。
一回すべるとまっさかさまなので、
ロープを反対側から張って作業した。
それでも滑るから、足場があればなんでもない作業が
時間も喰うし、思うようにいかない。
しかも終わると、とても肩がはっているのに気付く。
たぶん緊張しないで作業できれば、もっと楽にできるのだろう。
落ちる時は緊張してても、落ちる。
いや、たぶん緊張していた方が落ちやすい。
なのに緊張する。筋肉が自然とこわばる。
たぶん死ぬのが恐いからなのだろう。
死ぬのが恐いから、緊張する。
緊張するから、なおのこと落ちやすくなる。
そういうマイナス思考をするのは
いつも意識の方で、無意識の方ではない。
無意識(本能)の方は、きっとは死なんか恐れていない。
だって、人間が本能的に死を恐れていたなら、
老人はみな、憶病者になってしまうと思うから。
たぶん人間は、老いてくると無意識と語るようになる。
だから、まっとうな老人は死を恐れなくなるのだと私は思ってる。
老木の柿の木が、自らの枝を折ろうとも、実を結ぶように、
自分の死を受け入いれていくのが、生き物の本能なのだろう。
ただ、もう一回だけお月様を見たいなあとか、
もう一回だけ春の桜を見てみたいものだなあとか
そういうなごりを惜しむ気持ちは、増してくるだろう。
そういう意味では、
若いときは、月の美しさも、桜の可憐さも本当には、
理解できないでいるのだと思う。
私も歳をとるごとに、月が美しくなるような気がするのです。
そういや、死んだ父も、病室から見える原っぱを見ながら、
『もう、一回だけゴルフにいきたいなあ』と言っていた。
生きるなごりというのは、貪欲さではない。
むしろ無欲のなせる技だと思う。
最近お気に入りの歌、岡本太郎のお母さん、岡本かのこの歌で今日はお別れ!
としとしに我が悲しみの深くして
いよよ華やぐいのちなりけり
---------------------2001年10月1日---------------------
先日お月見に関して
さて十五夜は陰暦の8月15日で今年は、9月12日でしたが、 台風とテロで、お月見どころじゃない空だったはず。 今度の十三夜は陰暦の9月13日で、今年は10月10日にあたるらしい。
なんていい加減なことを書きましたが、
何を隠そうほんとうは、今年は今夜が十五夜だそうです。
過った情報源を見ていました。今年は十五夜が今日!
そして、十三夜は?いや〜すいません、よくわかりません。
十五夜の月を仲秋の月といい十三夜を後の月というそうです。
たいへん失礼しました。今夜は関東はまったく雨模様で
月どころではありません。明日の月を楽しみにしましょう。
それに十三夜と!
さて、ほんとうに仲秋というように、秋まっただなかになりました。
昨日、街を歩いていると、金木犀の香りを感じました。
私は朝夜、20分から30分くらいの散歩をする時があります
ほとんど瞑想に近いかたちで、うす目で歩いているのです。
なのに昨日は、すべての金木犀のある場所を確認できました。
一昨日まで感じなかったのに、むせかえるような香りを感じたから。
金木犀はある日突然、香りを放ちます。
それは、少女がある日突然、女性になる瞬間のように。
ちいさなかわいらしい花が、こんなにも香り立つとは!
ほんとうに生き物とは神秘です。
そしていろいろなことを教えてくれます。
“実るほど 頭を垂れる 稲穂かな”
と言われますが、これは稲から“謙虚さを知る”と
いうことなのでしょうが、やはり昨日は、
たくさん実のなった柿の木を見て心動かされました。
ありゃ〜もう枝が折れてしまうなあ
それほどにたわわに実がなっていました。
自らの枝を折ろうとも、実を結ぶ柿の木に
なにか感動に近いものを感じました。
夏に大いに葉を茂らせ、枝を伸ばす。
けれど秋になれば、葉を落とし、枝がおれようとも
実を残す柿の木は、私にこれからの生き方を教えれてる?
私の人生も、そろそろ秋?
いただいてきたものを、
そろそろ真剣に
お返ししていかなくては!
って思う今日この頃、
朝から寝違えて首がまわらないでんチャンであった。
さて
大賞を決定しました!
↑クリックしてね!
御協力ありがとうございました。