2002年2月
日々のでんチャン

現在の日々でんへ行く?

過去のでんチャン2002年1月に行くん?

過去のでんチャン2001年12月に行く?

過去のでんチャン2001年11月に行くの?

過去のでんチャン2001年10月に行けば?

過去のでんチャン2001年9月に行くん? 

過去のでんちゃん2001年8月へ行くう?

過去のでんチャン2001年7月を行くか?

-------------------2002年2月25日--------------------

冬季オリンピックが終わった。

いろいろな問題が露出した大会であったが、

スポーツの国際試合はお祭りと考えて、勝負の結果に

あまりこだわらないのが賢明だと思う。

 

きのう我が家の子供たちの少年野球チームが

はじめて練習試合で勝ったそうだが、結果と過程は

まったく別物であると教えたい。

過程が悪くても結果がいい時もある。

もちろんその逆もある。

『いっしょうけんめい練習すれば、かならず勝てる』と教えるのは

ナンセンスではないが、真実ではない。

しかるにナポレオン ヒルに代表される成功哲学のよく言う

『強く願えば、いつの日か必ず実現するだろう』という言葉の方が

いくぶんリアリティがある。

なぜなら、ひとつに、

人間は可能性がないことを、強く願望できないからだ。

運動音痴は、オリンピックで金メダル!なんて願望を

育だてていくことができない。

もうひとつには、

私利私欲は、結局は強い願望には育たない 

ということだ。

つまり親のため、人のため、みんなの為という

願望は、私欲をいつだって超えて育つのだ。

そして、多くの人の、強い願望は結集して実るのだ。

だからたいてい金メダルをとった者は、

『応援してくれたみんなのおかげです』と口にする。

まったくもってその通りなのである。

受賞者はまさに“そのおかげ”の体現者なのだ。

それを知らない勝者は、かならず先にいって

心身共に、大敗するものだ。

 

しかし、

こんなことを息子(8歳)に話してきかせても

きっと 返ってくる言葉はこんなんだ。

『じゃ、練習なんかしないで、

応援だけしてればいいじゃん!』

というモットモな言葉に、父親はただただ沈黙するのだろう。

純粋さというのもは、ときに暴力である。

 

-------------------2002年2月22日--------------------

今日は、夜、学校で天体観察会があるそうだ。

私は行けないけれど、子供はさぞワクワクしているのだろう。

 

私は夜空を眺めると、時々思う。

今見ている星の光は、何万光年も旅してきたものもあるってこと。

つまり今見ている星は、もう既にないかもしれないという事実。

それでも、今その美しい輝きに感動している。

それは、人も同じ。

今実際には存在しない人を、今ここにいるかのように感じること。

よく死んだ人は、お星さまになるって言うけど、

死んだ人と夜空の星は、そういう意味で儚くも美しくて

とてもよく似ている。

 

触れる、見れるってことが、重要なのではなく、

それに感動しているという心の動きの方が、重要なんだろう。

触れるもの、見れるものは幻影で、存在さえしていないかもしれないが、

自分の心が、感動していることは、まぎれもない真実なのだから。

そうなんだ。

夜空の星を見ると、今自分が生きてるということを再認識させてくれる。

何万光年も離れた星が、私のためだけに輝いているように思えるから。

 

-------------------2002年2月21日--------------------

今日はお葬式にいってきた。

亡き父の叔父さんにあたる方で、93才で亡くなった。

明け方亡くなった時も、眠ってるようだったという。

前日も、ご飯もお酒もいただいたそうです。

すばらしいことです。

さらに驚くべきことに、お墓までずいぶん前に購入し、

自分の戒名まで自分で決めて、書き留めておいたそうです。

自分が死んだら、この保険屋に連絡しろとか、何から何まで

きれいに整理してあったそうです。

素晴しいことです。私は身震いするほど感動してしまいました。

そういう人柄が、骨にも顕われていました。

喉仏はしっかりと、座禅を組む仏のように欠けることなく、

一番大きな壷に、入りきらないほどの骨をとどめていました。

薬などに頼ることなく、身を正していた証拠でしょう。

 

まったくもって見習いたいものです。

ちなみに私は、相模湾に散骨するようにお願いしています。

いつかもうちょっと、ライフスタイルが変わって

居間に骨壷を置いとくようになるかも。

そうしたら盛大に骨壷展やろうっと!

 

-------------------2002年2月20日--------------------

ひさびさに、『良寛と遊ぶ』を更新しました。

副題は、

ブッシュ訪日に思う 競争か無心か 仙桂和尚のこと

 

昨日の、誇り高き百姓(=サラリーマン)の話に通じるかも。

 

-------------------2002年2月19日--------------------

この空前の不景気のなかで、で最終的に勝ち残るとしたら、

チーム力のある会社かも知れないと経済誌に書いてあった。

ずば抜けた能力よりも、日本人らしい協力体勢を磨くことの方が

私もまっとうな道のような気がする。

そういえば、

浜田課長のドラマ『明日があるさ』も、そういうコンセプトの

超楽観的なドラマだった。

思い起こせば、巨匠黒澤明の『七人の侍』。

老侍・勘兵衛は最後に「勝ったのは、百姓たちだ…」ともらす。

そう、死にものぐるいで団結した庶民ほど恐いものはない。

ただ卑屈な百姓になってはいけない。

誇り高き百姓(=サラリーマン)になろう!

官僚や政治家の悪行が目に余る今だからこそ、

しがなきサラリーマンは、誇り高きサラリーマンとして

日本国を建て直していこうではありませんか。

 

マッチ擦るつかのまの海霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

           寺山修司

100円のライターの火はあかあかと 身捨つるほどの祖国を建てむ!

            でんチャン

 

-------------------2002年2月18日--------------------

ごめんなさい

すいません

堪忍して

というわけで、

宇宙からの物体C 更新してしまいました。

貴重な地球の資源を無駄使いしてるようで

大変こころ苦しいのですが、

かのバタイユ先生も、

“あらゆる文明は、余剰から生まれてくるのじゃ”

とおっしゃてたことだし…

ともかくもクリックせよ↓

しかして、最新『決戦、川中島!』を見るべし!

 

-------------------2002年2月16日--------------------

昨日話題にした“プライベート・ライアン”とういう映画には

とても強い伏線がある。

トム、ハンクス演じるミラー大尉の手の震えだ。

戦争を拒否しようとする意志が、

カラダに症状として出ていると自己判断している。

 

人間の意識は、人間の知る力をとても制限している。

カラダはそれを、いつも意識に伝えようとしてる。

意識よりもいつだって、カラダは先に知るし、

カラダが懸命に信号を送っても意識は気付かない場合さえある。

(わたしの結石もそれか〜?信号送るな〜!)

さらに、

人間が霊的な存在だとすれば(なの?)霊的な精神は、カラダ以上に

多くの真実を知っている。(うそつけ〜って誰か言ってる?)

人間は普通、とても制限された意識を、

自分自身だと思い違いしている。

カラダに信号を送っている霊的な精神こそが

自分自身なのに気付かない場合が多い。

そう、

カラダは霊的な精神を載せたウツワにすぎない。(たかがウツワされどウツワ!)

意識ごときは、ウツワの影にすぎない。(たかが影されど影!)

霊的な精神が乗っている時、人間のカラダは

汗にまみれ、血にまみれ、病に侵されて

美しくもはかなく生きていく。そのために生まれてきたのだから。

そして、霊的な精神が離れた時、即ち死ぬ。

ウツワが死んだら、その影(意識)も消える。

それでも、

もちろん霊的な精神は生き続けてるのだ。(ホントかー?!)

 

宮沢賢治の「春と修羅」の序が好きな人も多いでしょう。

もちろん、私も好き。

 

わたくしといふ現象は

假定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといっしょに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

-以下省略-

このひかり(照明)が自分自身(わたくし)で、

電燈がカラダでしょ?!

電燈は失はれちゃうのです。

そして、それでもひかりはあるんですよ、ずっと。

っでしょ?っでしょ?あってるでしょ?

そう、知ってる人は皆知っているんです、古今東西。

 

-------------------2002年2月15日--------------------

数日前、テレビで“プライベート・ライアン”という映画を観た。

http://www.geocities.co.jp/Colosseum-Acropolis/3063/pryan.html

スピルバーグ監督のリアル?な戦争映画だ。

トム、ハンクス演じるミラー大尉は、冷静で勇気ある戦士だが、

映画の最後には、力尽きて戦場で死ぬ。

しかし、この映画はさらに死が終わりでないことを教えてくれている。

ミラー大尉が命がけで救ったライアンという兵隊の心の中に、

その後何十年ものあいだ、ミラー大尉はしっかりと生きてきたことを、

ファーストシーンとラストシーンできっちり語っている。

こうして言葉にすると、いつでも映画というものは、なんとアッケナイものか。

そう

映画館が明るくなったとき、いわば“映画は死ぬ”。

しかし、

ほんとうの映画は、そこからほんとうに生きていく。

私達の心の中で。人も同じ、映画も同じ、

アッケナク死ぬ。が、そこから生きる。

スピルバーグのこの自称反戦映画も、過去の戦争映画に対する

アンチテーゼなんかでは決してなく、

過去の愛すべき映画へのかぎりないオマージュ。

スピルバーグの中で、今も生きている過去の愛すべき映画に満ちている。

“プライベート・ライアン” 素敵な映画。

 

-------------------2002年2月14日--------------------

私はほとんど朝食をとらないが、

カフェオレと

妻が用意してくれる簡単なデザートは、欠かさない。

今はりんごが旬。

朝、妻がむいてくれるりんごは、なんか力が湧くような気がして好きだ。

チョコなんか止めて、バレンタインに旬の“りんご”をあげる

なんてのも、格別のような気がする。

 

りんごは、寒暖の差が激しいほど、甘味を増すそうだ。

人間も、辛い目、幸せな目、いろんな山川を超えてきた人の方が

味があるような気がする。

日本の風土も四季さまざまの厳しさ、優しさがあって

人を育てている。四季の恩恵を感じて育つ日本人は、

世界的には少々甘すぎだが、いい味だしてると思う。

 

そういえば、

りんごのような赤いほっぺをした子供は最近いなくなったなぁ。

残念な気がする。

 

-------------------2002年2月13日--------------------

本日は3月予定のイベント、三人展のDM用の写真を撮った。

象徴的な絵にしないで、

いろいろいっぱいって感じにしようってことで

こんなふうにしました。

お楽しみに!3月14日-25日でぅぇ〜す。

 

-------------------2002年2月12日--------------------

おとついから、椅子をつくっていて、

なんとなく形になった。

ステンレスと亜熱帯系天然素材(木の実など)の合板を使用。

陶芸における壷や茶碗のように、インテリアデザナーにとっての椅子は、

なにか特別なものである。私にとっても何か椅子というのは、

人をのせる器のような心地良さがあって、積極的に作りたいもののひとつだ。

 

たしか小林秀雄が言ってたと思うんだけど、

土は、壷になりたがっているって

けだし名言だが、

インテリアにおいては、

木に負けずに、

金属も椅子になりたがっている。

と私には思えるのです。

 

 

-------------------2002年2月10日--------------------

昨日、

ソルトレイク冬季オリンピックの開会式を、

中華屋で焼そばを食べながらチラリと見た。

 

光のイルミネーションや、美しい作りものよりも、

開拓時代の農夫の格好で、皆が手にとって

ただただ踊る姿に感動した。

古き良きアメリカのイメージだ。

テロがあり、社会不安がつのるなか、

決定的にアメリカの国民の心の底に

流れる愛国心を感じた。

それは、フロンティアスピリッツとアメリカンドリーム。

浅いけれども、濃厚で激動の歴史をもつアメリカ。

愛国心が喪失した日本には、実感できないかもしれないが、

彼等は、間違い無くアメリカを愛している。

大変語弊がある言い方になるが、

それは戦前の日本国民が天皇を愛していたように、

アメリカ人の大半は、アメリカの産んだ自由の制度と歴史を

愛しているのだろう。

 

ところで典芸の染之助染太郎の染之助さんが亡くなられた。

会葬者への挨拶を、弟の染太郎さんは、

震えながらも大きなしっかりした声で

『おめでとうございます』

と言って締めくくった。実に感動的な挨拶だった。

オリピックの開会式と曲芸師の葬式。

実に同じ感動だった。

 

愛は、表現を超えて美しい真実を伝えてくれる。

 

-------------------2002年2月8日--------------------

知っていますか。

原子核と電子の距離?

原子核の大きさの約5万倍だそうです。

原子核を12mmのビー玉とすると600mはなれたところを

電子が回っていることになります。

そのあいだには、物質はなーんもないんです。

我々をとりまく世界が、いかにスカスカなものかがわかります。

このスカスカ状態を嘆いてはいけません。

スカスカこそが本質なのだから。

逆にいえば、目に見えて、堅くて頑強に思えるものは

本質ではないのです。

 

何度となく言ってまいりましたが、

陶器の本質は、無数の穴、あるいは疎であること。

そう、スカスカだから、精霊が住み易いのです。

愛されて使われるまでは、その陶器は展示場の住宅と同じ。

家主がいないうちは、

ただの屋根とか壁なだけで、家の本質ではありません。

その家の空間が、生きて息づいていないのです。

その空間に展開される家族の愛のドラマこそ、

家の命でしょ。

スカスカに愛が育つのです。

 

-------------------2002年2月7日--------------------

今日健康診断であった。

去年より3.5kg増加。

思えば3.5kgの肉を喰うのは難儀だ。

一日500gづつ食べ続け、

その分、全部身に付けて、

一週間かかる。

どこにそんなにつくのだろうと思えば、

いろいろと思い当たる。

あごのした。

腹、胸、腰まわり。

二の腕。

年をとっていくと、

だんだん脂肪を溜め込むスポットが

増えていく。

しかも、からだの表面積が増えると、

溜め込むスポットの容量も大きくなる。

 

どんどん

大きなうつわになってきてるということか。

でんチャン四十路にむかって、一層大きなうつわになりそうで恐い。

実際、大きな壷なんかつくる時は、

成形と乾燥を繰り返しながら、積み上げていくように

作り上げていくので、何日もかかるのが普通。

大器晩成とは文字どおり、充分な時間を要するのだ。

が、

成形と乾燥を繰り返すから、

後から削るタイミングがむずかしそう。

と、いうことで

でんチャンは、四十路をむかえる5月の誕生日から、

削り出しに入ろうっと!

ということで

あと三ヵ月は、積み上げていく。

 

-------------------2002年2月5日--------------------

今日ふと思ったのだが、

アインシュタインとピカソは似てる。

20世紀の巨人で、時代の人。

 

なぜか

アインシュタインの一般相対性理論と

ピカソのゲルニカは似てる。

 

ある時、

天から、特別なうつわに、

めくるめくイメージが、

とどめなく注がれる。

そのうつわを人は天才という。

 

-------------------2002年2月4日--------------------

自分の四十路祝いを買ってしまった。

私は5月で40才になるのだが、

同じ歳の陶芸家に、猪飼祐一って人がいて

どうも気になるので愛車の軽トラックを銀座へと

走らせてしまった。

そいで、その人の個展を見て、作品を手にしたら、

どうしても我慢出来ずに買ってしまった。

まだ、四十路に三ヵ月あるが、それまで

使わずにおこうと思う。

さてっと、

猪飼祐一さんは、人間国宝清水卯一氏と、その息子の清水保孝氏の流れを

正当に汲む中堅の陶芸家である。が、中堅と言っても彼はもうすでに、

この道20年。

しかも、生まれは京都の陶器商なのだから、生まれた時から

良き焼き物に囲まれていたに違いない。

そんな由緒正しさと、大きな期待に押し潰されず、

すばらしくみごとに花開いている。

そんな感じを受けました。

この片口は、我が家の家宝にいたします。

ほんとにお気に入りです。


      ↑クリックすると拡大。

 

-------------------2002年2月2日--------------------

ここのところ、焼締の酒器がよく売れるみたい。

どっかの番組で、焼締陶は酒をうまくするってやったらしい。

誰かその番組を見た方、教えてください。

 

昔から、特に備前では

「備前の水がめは水が腐らない」とか

「備前の徳利は酒がうまい」とか

最近では「備前で飲むビールはうまい」とか

言われる。

私はこれは備前にかぎるものではないと思う。

焼締陶全般に考えられることでしょう。

遠赤外線が出てるなどとも言われるが、

私が思うには、の問題なのです。

焼締の陶は、器の内側にはほとんど

自然釉(灰)がかからないから、表面が

ザラザラして、土の粗い感じがでているでしょう。

これを顕微鏡かなにかで、ずっと拡大して見ると

表面が穴だらけであること解るはずです。

この無数の穴が、

“水を殺菌したり”

“酒をうまくしたり”

“ビールの泡を細かくしたり”

しているのです。

 

まず殺菌効果から。

無数の穴から水分が浸透して、土の成分と交じります。

御存じの通り、土は微量な金属を含有していますが、

この微量な金属が、殺菌効果があることが証明されてます。

これを“微量金属作用”と呼び、「銅壺の水は腐らない」ことの

裏付けでもあります。(ちなみに緑青も有害ではないと認可されています。)

 

次ぎに

酒は、陶の無数の穴に浸透して、既にそこ(穴)にあった

空気とまじりあうのです。

酒は空気と交じりあうと、確実にうまくなります。

ウイスキーなどのボトルを何回かグルグル回して

ボトル内部の空気と混ぜ合わせるようにしてから、

注いで飲むとすぐ解ります。安い酒ほど解り易いですが、

高級ブランデーでも手の中でグラスを、まわして飲む人も多いでしょ。

空気と交じると、短期間で酒は熟成するのです。

次ぎにビール

ビールの泡がきめ細かくなって、ビールがうまくなるのは、

器の表面が、ザラついているからではないと思います。

やっぱり穴なのです。

陶の無数の穴にビールの発泡が圧力をかけると、

既にそこにあった空気は、微量ながら陶の中を通過して

器の外側に抜け出すのです。

そして、ビールが生んだ気体は、陶の無数の穴に入り込み、水面部に

乱暴に上昇しなくなります。穴を通過したきめ細かい泡だけが

ゆっくり上昇して、水面を蓋のように被うのです。

泡の蓋が酸化を防ぎ、うまい香りとキレを閉じ込めます。

だからビールがうまいのです。

 

以上、焼締陶に関するでんチャンの考察なので、

全部が全部ほんとだとは、おもわんといて!

でも、決めてはなのです。これホント!


             市野清治作(丹波)

同じことなのですが、別の言い方ではと以前言いました。

については、『うつわのこと』をご覧下さい。

 

-------------------2002年2月1日--------------------

今日の新聞の一面。サルのES細胞が、人工的に造り出される

可能性が高まった研究結果が発表されたとあった。

 

様々な臓器や組織の細胞に変化する能力を持つ細胞は、

成人の骨髄や脂肪組織などにも含まれるが、

受精卵が少し成長した胚(はい)から

取ったものをES細胞(胚性幹細胞)という。

らしい。ということで、

このところのバイオテクノロジーの発展はめざましい。

が、

人工受精や遺伝子操作の話がでるたびに、

必ず倫理的な反対意見が出てくる。

当然ではあるが、決定的な被害や副作用が発見されるまで、

なしくづし的に進んでいくでしょう。

私は

そういう道筋を通ってゆくのも、いかしかたないような気もする。

私は中学生で遺伝子のことを教えられたころから、

生き物は遺伝子に縛られて生きてる

思ってきた。

そう思っている人がたぶん大勢いると思うのです。

遺伝子操作は、言ってみれば

己を縛っている遺伝子からの解放を意味するかもしれないのです。

遺伝子を操作することによって性的欲求を

抑制することができるのなら、性的犯罪はほとんどなくなるし、

遺伝子操作で癌を治せれば、人はもっと温厚な人生を

おくるようになり、世界が平和にもなると思うのです。

いまに、錠剤を一個飲むと、どんな人も

温厚で優しい生活をおくれるようになる

時代が来るかもしれない。

いつの時代でも、精神性は科学技術の後を追っかけていくのです。

科学が新しい心の問題を、どんどんなげかけていく。

愛がそのひとつひとつに正確な答をしてくれると思うから、

あえて、遺伝子操作に反対しません。

ただ産業化された科学は、排他的な宗教と同様に危険でしょうから、

みんなで気をつけましょう。

 

いつの日か

心が科学を追いこす日が来るのでしょうか。

遺伝子からも、重力からも解放された心が、

時空を飛翔する日。その時はきっと今の苦渋を

懐かしくも悲しく思い出すのでしょう。

老人が、己の青春を思い起こすように切なく。

 

 過去のでんチャン2002年1月に行くのだ!

過去のでんチャン2001年12月に行く?

過去のでんチャン2001年11月に行くの?

過去のでんチャン2001年10月に行けば?

過去のでんチャン2001年9月に行くん? 

過去のでんちゃん2001年8月へ行くう?

過去のでんチャン2001年7月を行くか?