柴垣六蔵さんには、長い間憧れに近い思いをもって、お会いすることを願っていた。
数年前鎌倉のある陶器ギャラリーで、白磁の皿に出会って以来、ずっとである。
でも執着しているわけではなかったのです。
いつかきっと!というような信心にも似た思いでした。
で、私がこの春大きな病気をしたので、少々心細くもなり、
このままではお会いすることもできなくなるかもと思い連絡をとり伺うこととなりました。
6月25日の早朝4時半に我が家川崎を出発して、東名高速道と東海環状道を利用して、
9時頃に柴垣さんのご自宅に着いた。あっという間だ。もっと早くに伺えばよかった。
ご夫婦で、にこやかに迎えてくださり、そうそう歩いて一分の工房へと案内してくださった。
工房は、茅葺の上からトタン葺きした古い民家で、以前はこちらをご自宅として使っていたという。
大自然とは言わないまでも、豊な自然に囲まれたところである。
さっそく作品拝見。
近く しぶや黒田陶苑にて個展ということで、そちらに向けて焼いた作品が並んでいた。
どれもすばらしい。
一見普通に見えるうつわたちは、まじかに見て手に取ると格別のうつわとなる。
それはもう筆舌し難いもので、同じように手にとってもらうしかない。
いまやこの柴垣六蔵さんでなければ、作り得ないうつわたちが、生をうけ存在している。
それほどまでに、柴垣さんを思うのは、土への思い入れが尋常でないからである。
自宅の方で、奥様にお茶と、パンをごちそうになりながら、聞いたのだが、
思いの土を見つけ出すだめに、10年かかったそうである。
その10年間は、収入もままならず、工事現場などがあると飛んで行き、土探しに奔走したそうである。その間は陶芸以外の仕事もずいぶんとやったそうだ。
しかし、その分 この地域の土は知り尽くしたと自負する柴垣さんの、横顔は清清しくも、誇らしげだった。その時間を柴垣さんを信じて耐えた奥様も、『こういう古い性格だから しょうがない』と言いながらも、柴垣さんと、柴垣さんの仕事をたいへん誇らしげに思っているのだろう。
柴垣さんの仕事は、白磁と青磁が中心だが、堅手、粉引、伊羅保、黄瀬戸など多種多様で、それがすべてに一級品であることが、柴垣さんの奥深い探究心を証明している。すべてに精通しているって自負を感じさせる。 |
めちゃくちゃ美味い奥さんの自家製パン |
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ご自宅から歩いて1分に工房がある。
右が柴垣さん 左が妻(店長)
工房の居間には、作品がいっぱい |
話は変わるが、柴垣さんの住んでいるところは、山の中の田舎とは言え、愛知県だ。
名古屋城へは、車では40分くらいで行くだろうか。
広い意味では、家康のおひざもとと言えよう。
そこで少々唐突だが、その家康の遺訓を紹介しよう。
人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し
急ぐべからず
不自由を常と思へば不足なし
こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久のもとい
いかりは敵とおもへ
勝つ事ばかり知りて負くる事をしらざれば、わざわいその身にいたる
おのれを責めて、人をせむるな
及ばざるは過ぎたるより まされり
工房には作品が所狭しと並ぶ。さまざまな手法で、それぞれに極上! |
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窯詰め前の見事な白磁壷
釉薬の桶もたくさん並んでいる。土との組み合わせ
釉薬の調合。すべてにこだわりが見える。 |
この箇条書きのような家康の言葉に、私は最近取り憑かれているので、
柴垣さんの生き方を見て、まっさきにこの言葉を思い出した。
しかし、柴垣さんの生き方が、この家康の遺訓のようだと言う気は毛頭ない。
たしかに、柴垣さんの土探しの10年を思うと、“重荷を負うて遠き道をゆくが如し 急ぐべからず”
“堪忍は無事長久のもとい”“負くる事をしらざれば、わざわいその身にいたる”などの言葉が
ぴったりに思える。
しかし、この言葉は、柴垣さんの人柄からあふれ出る“軽み”とか“緩み”がないのだ
そこでだ。
家康のこの遺訓に非常に似ているが、いかにも良寛らしさを湛えた漢詩を
また引き合いに出してみよう。
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工房のすぐ前のガス窯
青磁や白磁が焼かれる |
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欲無ければ 一切足る
求むる有れば 万事窮す
淡菜 飢えを癒すべく
衲衣 いささか 身にまとう
独り往きて 麋鹿を伴とし
高歌して 村童に和す
耳を洗う 岩下の水
意に可なり 嶺上の松
※麋鹿:(びろく) 鹿のこと |
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前半の四行は、家康の遺訓と同じことを言ってるようだが、
五行目からは、実に“軽ろやかに”で歌い上げている。また良寛にはこんな詩もある。
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薪を擔うて 翠岑を下る
翠岑 路は平らかならず
時に憩う 長松の下
靜かに聞く 春禽の聲
たきぎを、にのうて すいしんをくだる
すいしん みちは たいらかならず
ときにいこう ちょうしょうのもと
しずかにきく しゅんきんのこえ
※翠岑:緑の路
※春禽:鳥などの獣 |
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ガス窯から出たばかりの青磁
ご自宅の玄関先 焼き物と緑が鮮やか
居間から見えるテラスには元気な愛犬
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この詩もまた、前半は人の“一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し”を
言い換えている感じだが、後半には、自然と通い合う癒しがある。
労働の後だから、なおさら身に沁みる自然の癒しを飾り気なく歌い上げている。
柴垣六蔵さんの土探しの苦労の10年と、今の悠々自適な仕事ぶり、生活ぶりを
見るにつけ、この詩のリズムと、自然への感受性を感じる。
統治者家康の遺訓にはない“軽み”とか“緩み”が、良寛や柴垣さんにはあるのだ。
それは、きっちり作品にも現れている。
個性を滅したような普通のうつわに見えるが、
手に取って間近に見ると、じわりと伝わってくる“軽み”とか“緩み”
凛とした張り詰めた緊張感を、楽々と越えてくるような味わいだ。
人間や自然の大きささえも、感じられる。
さて、自宅でパンをごちそうになった後、外に出て
柴垣さんは、自慢げに土のありかを教えてくれた。
『あの辺が、あの山のむこうで採った土で、ここんとこが、荒川豊蔵さんの土だ』
なんて、いろいろんと土の盛り上がりを示されたが、それは雑草の生えたただの土の盛り上りで、うれしげににこにこして案内してくれる柴垣さんの表情から、それが柴垣さんの大事な大事な宝物であることがわかるに過ぎない。
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↑ここいらが豊蔵の土だって言われてもなぁ。 ↑テストピースがいいぱい ↑精製済みの土は、小屋の中に積んである |
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愛犬のいるテラスの向こうの庭には、
季節のものが栽培されて・・
磁器のろくろと、作業場
これもろくろ |
それは柴垣さん以外の誰にとっても、ただの土くれだ。
そのただの土くれが、世にも稀な極上のうつわに生まれ変わるのだ。
その奇跡のようなコトを、
“薪をにないて翠岑を下る” ように淡々と柴垣さんはこなすのだろう。
それでも、柴垣さんは、画廊にすすめられても、作品を高価にしたくないのだそうだ。
おそらくは、大陶芸家先生にはなりたくなのだと思う。
大陶芸家先生になって“軽み”とか“緩み”を失いたくないのだと思う。
多くを持つものは、どんなに努力しても、持てないモノがあるのだ。
大統治者家康の遺訓が、人生の生き方を適切に言い切っているにもかかわらず、
人生にあるべき“軽み”とか“緩み”を示していない。
論理的なヒントとしては、かろうじて語られているような気がする。
“及ばざるは過ぎたるより まされり”と
だが、直接心を揺さぶったりはしない。
しかし、ここで生まれるうつわたちは、手にとるだけで、それがわかる。
わが子にもし、何か遺すなら、高尚な言葉より、高価な名物よりも、
柴垣氏のうつわを遺したいなんて思う。
その真意が伝わるかどうかは別だが・・・
(“軽み”と言えど、柴垣氏のうつわが比較的軽いという意味ではない。
より抽象的な意味での“軽み”である。“緩み”に関しても同様)
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土モノ用のけ蹴ろくろ
荷車の車輪を利用してご自分で作ったもの |
薪窯は自宅のすぐ前にある。 部分的に窯詰めしてあった。 周囲には大量の薪が積まれて・・・ |
奥様と玄関で おしどりって感じだ |