良寛と遊ぶ
風鈴から 靴のクオリアに至るお遍路 2006年7月21日

川崎大師には、よくよく訪れるのだが、
夏の今頃(7月20日頃から一週間くらい)行われる風鈴市には、今回初めて行った。




吹き硝子のものも
涼しそうでいいのだが・・・
簡単に割ってしまいそう
な気がして却下。

 
まあ、全国各地の風鈴がうんざりするほどあったが、
ぐるりと見てしまうと、風鈴よりも浴衣の娘たち(他人)
の方に目が行くのは、しょうがあるまい。
弘法大師様も言うとる 煩悩即菩薩って。

で、
買ってみたのは本当にオーソドックスなもの。
朝顔の絵の伊万里焼のと、
南部鉄の風鈴。
右上の漢詩は、道元(禅宗の日本での祖)の師で、
如浄という禅僧の作、いわゆる『風鈴の詩』というもの。

訳はこんなんか

風鈴は、全身を精一杯空っぽの口にして、空中にぶらんと ぶら下がっとる
東の風も西の風も南の風も北の風にも いっこう より好みをしないで
皆に平等に、全身を震わして“大事なこと”を伝えてくださる えりぇ〜ありがてぃこった
ちり〜んちり〜ん とくりゃ またりち〜んとさ


この風鈴の詩 最近 道元の正法眼蔵を読み始めたら、最初に出てきた近頃お気に入りの詩。
良寛は、正法眼蔵をいつも傍らに置いて読んでは、涙を流していた人だから、
この詩などは、きっと諳んじていたと思う。それで、良寛自身の作に風鈴の詩はないものかと
ネットで調べてみたら、これしか出てこない。

風鈴や 竹を去る事 三四尺
最初これを詠んで、
こりゃぁえりぁ〜まともな俳句じゃわい なんて思っていたら、じわじわと深いものを感じてきた。
まず、連想されるのは、竹という形状や性質のもつ記号的意味だ。
竹は、禅が理想とする身心脱落 只管打坐を形にしたもの。
内に空(くう)を抱き、只だ まっすぐと天に伸びる。
つまり竹は禅宗の象徴と捉えられよう。
それが記号的な意味。

つぎに情緒的な意味。良寛さんの好みのはなし。
こんな逸話がある。


ある日、良寛が気がつくと、庵の床から、竹の子が出ていた。
それを良寛は、おもしろがってそのままにしていたら、
屋根にぶつかるほどにのびちゃった。
それで今度は良寛さん 屋根を除けてやろうと思って
ろうそくの火で屋根の一部を燃やしてやろうと思った。
そうしたら 不器用な良寛のすることだから、火が別のところにも移って
忽ち建物全体を燃やしてしまった。もちろん竹も。じゃんじゃん♪


と、まあ こんなお話。(たぶん、良寛は竹の子が好物だったのだ!焼いた竹の子も!?)

賢いとはとても思えない、頭の悪い子供のようなお話でありますが、
よく良寛の性格を表している、よい逸話です。

という具合で、良寛は、お月様同様、竹が大好きだったのは間違いないようです。
竹取物語よろしく月と竹は記号的にもセットでありますが、
良寛にとってお月様が悟りの象徴(=仏)なら、
竹はと言えば、それは敬愛する道元のように思っていた。
 と私は思うのです。

それじゃ この俳句の風鈴の方は、その道元の師で、風鈴の詩の作者である如浄を表しているのか と言えば
もちろん それほど難解なものではありません。

俳句で、“○○や” とくれば まずほとんどその対象に自分を投影するものです。
つまり風鈴とは、“自ら大愚といい、僧にあらず、俗にあらず”とも言った良寛自身の自由な身を指しているのです。
そんなことを含みいれて、この俳句を解してみたら、こんなだろうか
 
 風鈴や 竹を去る事 三四尺


俺は軒先で気楽にぶら下がっている風鈴のようだ
ああ その直ぐむこうに大好きな竹(=道元先生)も見える
風が竹林を通って わが身を揺らしてくれてる
ああ きもちがいいなあ
竹から三尺か四尺離れて 俺がいる ちょうどいい。
見渡しは悪いけでど いいんだ 大好きな竹だもの すぐ近くで・・・
いっしょに座禅してるみたいだなぁ 道元先生の傍らで

でも竹薮(宗派)には入らないぞ!
俺は虚空にかかる風鈴でいいのだ! 竹の子も食べたいし!

 
この俳句もまた、私の大好きな風鈴の詩になりそうです。

で、また川崎大師。
ここはもちろん禅宗の寺ではない。
空海にちなんだ真言宗の寺だ。

けれど、次にあげる空海の詩が示すように
悟りを開くことには、禅宗でも真言宗でも(先の風鈴の比喩のように)
空っぽになって座ることが大事なことには、間違いないようです。

下の漢詩は、空海が煩悩即菩薩の境地を悟ったときの詩と言われていますが、
空海は長い間虚空の中に座り続け、終にある強烈なクオリアに至ったようです。


★仏法僧鳥とは鳴き声が、“ぶっぽーそー”って聞こえる鳥の俗称で、コノハズクというフクロウの中間。


★三宝とは、敬うべき三つ対象
       仏(釈迦) 法(教え) 僧(修行) の三つ


訳)
 静かな林の中で、独り座っていたら
 草堂には朝日が差し込んできた
 仏と法と僧の声がひとつになって、
 ひとつの鳥の声として聞こえた
 鳥の声と人の心とが向かい合い、ひとつになり
 その声と心は、雲と水のように
 一体でありながら、ともに明らかにくっきりと
 たち現れて感じられた


 この詩のなかの鳥(仏法僧)の声は、風鈴の音と同じように、人に悟りを開かせるものとして響く客体である。
だが、感知するのは人の脳であるから、遠くから聞こえる鳥の声でも、聞こえた瞬間に己のものに違いない。

脳の働きからすれば、
鳥の声は、聴覚器官から入り、神経細胞を通じて脳に入り、無数のニューロンを発火せしめるのだ。
発火のパターンこそ、心なのだと言えば、そう『心と声はひとつ』とたしかに言えそうなものだ。
だが、悟りというある直感的な大飛躍の場合、いままでのニューロンの発火とはまったく違うパターンを示すのだろう。

たとえば、聞くべき声を、視覚的リアリティをもって感じるようなクオリアだ。
そういえば、風鈴の音だが、風鈴の音を聞くと、涼しく感じる現象は、
鳥の声と己の心とをひとつに聞く(見る?)ような感覚的飛躍に類似しているように思える。
そこでは、通常の場合からは感受性に捻じれがある。
右手を左手に感じたり、腹を背中に感じたりすような錯覚にも似たジャンプだ。
風鈴の音に涼しさを感じるような、ミニジャンプもあれば、
鳥の声を己の心とひとつに聞くような、ラージヒルからのスーパージャンプもあるのだ。
スーパージャンプは悟りであり、ミニジャンプは美(あるいは真か善か)への感受性なのではないだろうか。

一介のうつわ屋としては、このミニジャンプこそ大事にしたいものだと感じる。
そこに生まれる、捻じれているようで、とても了了とした(あきらかなさま)クオリアを大事に、大事にしたいと思う。
クオリアはほぼ一瞬のものだから、その感覚をその余韻とともに心の蔵に大切にしまっておいて、
必要なときにポンと引き出すのは、スーパージャンプへ繋がるかもしれない“魂のお遍路”!
と言えようか。

さてさて
お遍路といえば
川崎大師にも、諸国を遍く歩いた空海の
歩く像が立っております。
座る空海の一方に、歩く空海の姿が
遍く人々の心の中にあるのです。

乾期には歩き、湿期には座る
超人空海のライフスタイルだったようです。

川崎大師の本堂と不動堂と五重搭を結ぶ
三角のほぼ中心の木陰に、その歩く空海像はあります。
空海像の立つその岩に、大きな草鞋(わらじ)が
掛けてあり、そのもっと下には、多数の草鞋が奉納してあり、
信者は空海の偉業を讃えて草鞋に献水するのです。

いろんな供養があるものですが、
草鞋が丁重に扱われるというのは、良いことだ。
そう思って、私が川崎大師に来たときには、かならず献水する。
私の大好きな場所です。この像のまわり(結界)には、
四国八十八箇所の石碑が立っていて、
仮想プチお遍路が出来るようになっている。
信仰の対象が、神々しいものでなく、汚い草鞋ってところが、
いかにも庶民に愛された弘法大師ならではだ。

さて一方良寛様は?、
私は草鞋に水をかけながら、
良寛のこんな話を思い出すのだ。

良寛の甥に馬之助という放蕩息子がいて、
良寛の弟 由之は息子の放蕩に困り果てて、
(兄の心弟知らずな話ですが)
兄の良寛に説教を依頼するんです。
良寛はしぶしぶ故郷の由之の家に出向き、
説教するべく馬之助の前に座らせられましたが、
いつまでたっても説教しません。
(しようと努力したかもしれないが、出来なかったのでしょう きっと)
とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って
家を出ようとした良寛さんだった。
そのとき馬之助の母は馬之助に良寛の草鞋の紐を
結んであげるように言いつけた。
馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始める。
それでも良寛はだまったまま。
と、そのとき
馬之助は自分の首に何か落ちてくるのを感じて
不意に顔を上げた。すると、そこには、
目にいっぱい涙をためた良寛さんの顔があったのです。
良寛さんはそのまま五合庵に帰っていったが、
馬之助の放蕩はその日を境にすっかりおさまったという。

とって付けたたような逸話が多い良寛だが、
この話は身内の話だけに真実味がある。
かなり細部まで事実であろう。
良寛の泣き顔が、放蕩若者の心を強く動かすほど、
すごいものだったと想像できる。
教育論などを語るときに、諭すだけが教育だけでなく、
共に悲しんであげる心が大事なんて言いたい時、
よく持ち出される話ではあるのだが、さて・・・?



 さて、この良寛の涙をどう みなさんはとらえますか?
甥への哀れみですか?何もできない自分への自責の念ですか?
悲しみだとしたら、いったいどこから生まれた悲しみでしょう。
私は、“草鞋”だと思います。なんで草鞋が悲しいのかって?

良寛はそのとき、草鞋の強烈なクオリアに押しつぶされるような感覚を味わったと思うのです。
そうです 草鞋のクオリアが生んだ涙なのです。
良寛にとってそのクオリアがどれほどのものであったか想像してみてください。

良寛もまた駄目息子で放蕩息子であったのです。が、ある日突然の出奔するのです。
それが契機で仏道に入り、それからずっと この故郷の家を離れることになるのです。
いわばなが〜い草鞋を履いてきたのです。
しかも印可の偈を得て円通寺を出てからの数年間は、乞食坊主のような恰好で諸国を歩き続けたです。
それでようやく故郷にたどり着いたときには、母は死に、父も死んでいたのです。
いっしょに想像してみてください。良寛のなが〜い草鞋の感触を

在りし日故郷を出る時のあの草鞋の感触
歩き続けた修行日々のあの草鞋の感触
雨に濡れたあの草鞋の感触
破れて足を傷めるあの草鞋の感触
凍てつく朝のあの草履の感触

その時々で、草鞋のクオリアは無意識のうちに強化されていたろうが、
このとき悟りを開いたがごとくに、強烈なクオリアを感じ取ってしまったに違いないと思うのです。

ありし日の自分のような甥を前に、
この故郷の生家で、
出家するあの日と同じように  (もしやあの日も、母が草鞋の紐を結んでくれたか?)
草鞋をはく・・・足の裏が草鞋に触れたその刹那・・・

そう あの日には理解できなかった草鞋をはく意味を
強烈なクオリアとともに知ってしまったに違いないのです。

ほんとうに理解するというのは、そういったものなのでしょう。
まさに この草鞋が自分自身であるかのような大いなるクオリアに支配されたのです。

そういうクオリアを強いるものには 同じような特性があるように思う。
普段それほど意識してないにもの。にもかかわらず、
それが発する感覚の源が、誰にとってもビビットでクリアであるもの。
何かが喚起したそのときには、蓄積されたクオリアが瀧のように溢れ出るようなもの。

閑林に響く鳥の声もしかり
お堂に響く風鈴の音もしかり
冷たい草鞋に足を入れる感触もしかり 

いわば、一言でいうならば、詩的なもの。
人の心のなかに、共通に棲みつく蝶のようなもの。
生涯それに気づかない人もいるが、確かに皆にあって、時々飛翔してるのを垣間見る。
が、ひとたび扉が開けば、天を覆いつくすほどの蝶の群れとなる。
そんな特性をもつもの。

ちなみに余談ではあるが、
私にとって思い出深い履物は、草鞋ではなくやっぱりスポーツシューズだ。
なかでもバスケットシューズは底が抜けるまで履いたように思う。
中学、高校とさんざんバスケットボールに明け暮れたからだ。
たいていは、踵の部分が磨り減って、穴があくのだ。
それにまた、シューリペア(樹脂系のもので、固まってゴム状になる)で
何回も修理して履いたものである。また、
バスケットボールもそうなのだが、シューズもまた自らの唾液をつけて磨くのだ。
すると、もちろん妙に臭うのだが、なんだか ぐんと風格を増す。
と同時にどんどん足に慣れていくような気がするのだ。
今でも、そのシューズを想うとにわかな臭気とともに、その雄姿がくっきりと思い出される。
今ここに、それをもってこられたら 良寛同様泣いてしまうかもしれない。


そもそも履物は、身体的に劣勢な人という動物が、足の保護のために作ったものだが、
おそらくは“うつわ”の起源に近いものだと思う。私はよくここで書いてきた。
“うつわ”の起源は、器状に丸めた手のひらだ!ってこと。
では足に履く履物の起源って考えた場合、ひと呼吸悩むわけだが、
それは“やっぱり足のひら”って考えられないだろうか。
足は大地の上に立たされているわけでなく、樹木がそうであるように、
足の裏から大地のエネルギーを吸い上げているのだ。いわば大地を両足で受け止めている。
荘子いわく“真人は踵で呼吸をし、衆人 は喉で呼吸をする”-なのだ。
これを気功の世界では足裏呼吸とか足芯呼吸などといい、大地の“気”を足の裏から吸い上げて、
体内をめぐらして、手のひらから逆に“気”を発したりするようです。

こういう意味では、履物は二次的なもののように思われますが、視点を変えればそれは、
“気”を吸い上げてくれる大事なポンプ(足)を保護するとともに、足に能く“気”を伝えるべき媒体ととらえられます。
つまり足が“気”のポンプなら、履物は“気”の呼び水のような働きをしてるのです。
通気がよく素足に近い感覚の草鞋などが、長いあいだ主流であったのは、この点でもうなずけるところです。

ところが履物の類は、あたりまえのことだが、ひどく汚れるものだから、ちょっと卑下た扱いをされてきた。
だが、この尊い責務と重い労を、本来は川崎大師の空海の草鞋のように、
丁重にねぎらってあげなくてはならないのだろう。

また、ついでと言っては恐縮だが、
わが良寛の魂の友とも言える 放浪の詩人たち 西行 芭蕉らの
履き古された草鞋も思い浮かべてみたくなる。
彼らの足元で、彼らの足元を守りながら、彼らにその地その地の“気”を送ったであろうそれを・・・
それとの惜別は、おそらく何十年も共にした愛すべき“うつわ”との別れと同じような郷愁か。
西行や芭蕉の時代に、日々旅する者の草鞋は、どうれほど保ち堪えたか。
日々補修したとして、ひと月履けたであろうか。
また今日でも、赤子が歩き始めてから、足の成長が停止するまで、何度靴を履き替えるのだろう。
その多くは、郷愁とともに捨て去られたはずだ。
その短い輪廻だからこそ、そこに独特の想いが生まれ、独特のクオリアが生まれるのだろうか。

鳥が梢で歌うように、風鈴が虚空で自らを振るわし音を出すように
履物は大地と足の裏の間で、それはそれはみごとに押し潰されるのだ。
それで短い一生を重々しくも軽々と終えていくのだ。

そう、靴を試着するのは、天から降りてきた霊魂が人の体を選ぶのと似ているのではなかろうか?
以前よく履いたが、履き潰して捨てられた靴は、前世の記憶のように生生しい。
刻まれた皺や汚れや臭気に至るまで確かに記憶されているのだが、
今の私には確実に失われてしまった何か
そう 愛し失われた靴のクオリアは、
今、目の前にそれがないにもかかわらず、たしかにあるのだ。前世の記憶のように

あるいは、強いクオリアとは、前世の記憶によって強化された感受性なのかもしれない なんて思う。
失われてはじめてわかるもの。失われたからこそ強いもの。失われるべきものの美しさ。
そういうものが、強いクオリアを伴って、人を動かすのだ。
そういうものが、良寛の目に涙を溜めるのだ。

さて、話はどんどん横にそれるが・・・

履物を陶でつくる人がいる。
最近知人の紹介で知遇を得た人なのだが、★小野間亜紀さんという人で、
海外での生活の中で、陶の履物の創作に目覚めたらしい。

わかるような気がするのは、“海外で” “陶で” “履物で”ってところ。
海外での郷愁  陶のクオリア  履物のクオリアが、
健全な人の脳のなかで結合点を見出すのは、必然のようにさえ思える。
だが、めったにそんな創作にめぐりあわないのは、履物を卑下たものにとらえる先入観なのだろう。

純粋な心にしか、創作の芽が生まれ育つことはない。
そういう意味では、空海の草鞋に献水したいって気持ちと同様に、とても純粋な衝動だったと思う。

まさに小野間さんの作品は
そんな純粋な好奇心を材料にして出来ているかのよう。

まず、その靴たちを見ると、『ああ 靴かぁ』って
誰もが思う。

『匂うんじゃないの?こんな所に置いて・・・』って
手に取ろうとして、びっくりするのだ。

『ああ重い。陶製かぁ?』

そこで、直前までもっていたクオリアが瓦解する。
視覚が触覚や嗅覚を含んだクオリアを支配していた その事実に
感覚というものの不確実性を実感するのだ。

そこで 感覚とそのクオリアが、いかに記憶や
思い出によって支配されているかを思い知らされる。

 これはほんとうの靴ではない!
 しかし、ほんとうの靴のクオリアを持っている!
 
 あなたは私ではない!
 でも、あなたは、ほんとうの私のクオリアを持っている!
 
 ところでこれは何?あなたは誰?私?


みたいな
禅問答にまで至らせる
摩訶不思議な作品。




愛着ある靴の供養として
あなたや、あなたのお子さんの靴を
作ってもらうこともできます。

ちなみに上画像は、長男が少年野球のピッチャーで
使っていたものをコピーしてもらったものです。


さて
この長いお遍路のような書き汚しも、もうそうそそろまとめ?にかからなくてはいけない。

川崎大師を駐車場から出入りするとき、必ず通るところがある。
釈迦池だ。その池に無数の亀がいる。
入るとき、この亀たちを見て、心を脱落させる。
出るとき、またこの亀たちを見て、心をとり戻していく。
良寛が風鈴に自分を映したように、
空海が鳥の声に自分の心を映したように、
せめて私も、この池でこの亀となって浮かんでる自分を、一時味わうのです。
東寺や高野山には一度も行ったことない私、
ましてや四国お遍路など夢のまた夢
せめて、近場の川崎でプチお遍路。
どうでしたか?

風鈴から歩き出して 鳥の声に至り 草鞋からへと
クオリアというキーワードを杖に歩いてきた。

空海と歩き、良寛と遊び、道元と座る ことが
少しでもできたような気がしてもらえれば幸いです。

人は、体という履物を履き替えて、
どこに向かって歩いているのだろうか
遠い過去のような気もするし、未来の大地のような気もする
いずれにせよ 失われたものの中にそのジャンプキーがあるようだ
まず足元から探してみよう ほら いま踏んでない?ほら それっ


    瓜食えば 風鈴なるなる 平間寺 
  ♪ちり〜ん

              ★川崎大師の正式な名称は、真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺



これが、知る人ぞ知る
川崎大師の名物 釈迦池の亀たち

浮かぶ亀たちは
まるで風鈴のように虚空に棲む。
陸の亀は、達磨のように瞑想中か?

釈迦の池で悠々と生きる
この亀たちのなかに

良寛の転生もいるような・・・



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