川崎大師には、よくよく訪れるのだが、 夏の今頃(7月20日頃から一週間くらい)行われる風鈴市には、今回初めて行った。
良寛は、正法眼蔵をいつも傍らに置いて読んでは、涙を流していた人だから、 この詩などは、きっと諳んじていたと思う。それで、良寛自身の作に風鈴の詩はないものかと ネットで調べてみたら、これしか出てこない。
こりゃぁえりぁ〜まともな俳句じゃわい なんて思っていたら、じわじわと深いものを感じてきた。 まず、連想されるのは、竹という形状や性質のもつ記号的意味だ。 竹は、禅が理想とする身心脱落 只管打坐を形にしたもの。 内に空(くう)を抱き、只だ まっすぐと天に伸びる。 つまり竹は禅宗の象徴と捉えられよう。 それが記号的な意味。 つぎに情緒的な意味。良寛さんの好みのはなし。 こんな逸話がある。
よく良寛の性格を表している、よい逸話です。 という具合で、良寛は、お月様同様、竹が大好きだったのは間違いないようです。 竹取物語よろしく月と竹は記号的にもセットでありますが、 良寛にとってお月様が悟りの象徴(=仏)なら、 竹はと言えば、それは敬愛する道元のように思っていた。 と私は思うのです。 それじゃ この俳句の風鈴の方は、その道元の師で、風鈴の詩の作者である如浄を表しているのか と言えば もちろん それほど難解なものではありません。 俳句で、“○○や” とくれば まずほとんどその対象に自分を投影するものです。 つまり風鈴とは、“自ら大愚といい、僧にあらず、俗にあらず”とも言った良寛自身の自由な身を指しているのです。 そんなことを含みいれて、この俳句を解してみたら、こんなだろうか
で、また川崎大師。 ここはもちろん禅宗の寺ではない。 空海にちなんだ真言宗の寺だ。 けれど、次にあげる空海の詩が示すように 悟りを開くことには、禅宗でも真言宗でも(先の風鈴の比喩のように) 空っぽになって座ることが大事なことには、間違いないようです。 下の漢詩は、空海が煩悩即菩薩の境地を悟ったときの詩と言われていますが、 空海は長い間虚空の中に座り続け、終にある強烈なクオリアに至ったようです。
この詩のなかの鳥(仏法僧)の声は、風鈴の音と同じように、人に悟りを開かせるものとして響く客体である。 だが、感知するのは人の脳であるから、遠くから聞こえる鳥の声でも、聞こえた瞬間に己のものに違いない。 脳の働きからすれば、 鳥の声は、聴覚器官から入り、神経細胞を通じて脳に入り、無数のニューロンを発火せしめるのだ。 発火のパターンこそ、心なのだと言えば、そう『心と声はひとつ』とたしかに言えそうなものだ。 だが、悟りというある直感的な大飛躍の場合、いままでのニューロンの発火とはまったく違うパターンを示すのだろう。 たとえば、聞くべき声を、視覚的リアリティをもって感じるようなクオリアだ。 そういえば、風鈴の音だが、風鈴の音を聞くと、涼しく感じる現象は、 鳥の声と己の心とをひとつに聞く(見る?)ような感覚的飛躍に類似しているように思える。 そこでは、通常の場合からは感受性に捻じれがある。 右手を左手に感じたり、腹を背中に感じたりすような錯覚にも似たジャンプだ。 風鈴の音に涼しさを感じるような、ミニジャンプもあれば、 鳥の声を己の心とひとつに聞くような、ラージヒルからのスーパージャンプもあるのだ。 スーパージャンプは悟りであり、ミニジャンプは美(あるいは真か善か)への感受性なのではないだろうか。 一介のうつわ屋としては、このミニジャンプこそ大事にしたいものだと感じる。 そこに生まれる、捻じれているようで、とても了了とした(あきらかなさま)クオリアを大事に、大事にしたいと思う。 クオリアはほぼ一瞬のものだから、その感覚をその余韻とともに心の蔵に大切にしまっておいて、 必要なときにポンと引き出すのは、スーパージャンプへ繋がるかもしれない“魂のお遍路”! と言えようか。
さて、この良寛の涙をどう みなさんはとらえますか? 甥への哀れみですか?何もできない自分への自責の念ですか? 悲しみだとしたら、いったいどこから生まれた悲しみでしょう。 私は、“草鞋”だと思います。なんで草鞋が悲しいのかって? 良寛はそのとき、草鞋の強烈なクオリアに押しつぶされるような感覚を味わったと思うのです。 そうです 草鞋のクオリアが生んだ涙なのです。 良寛にとってそのクオリアがどれほどのものであったか想像してみてください。 良寛もまた駄目息子で放蕩息子であったのです。が、ある日突然の出奔するのです。 それが契機で仏道に入り、それからずっと この故郷の家を離れることになるのです。 いわばなが〜い草鞋を履いてきたのです。 しかも印可の偈を得て円通寺を出てからの数年間は、乞食坊主のような恰好で諸国を歩き続けたです。 それでようやく故郷にたどり着いたときには、母は死に、父も死んでいたのです。 いっしょに想像してみてください。良寛のなが〜い草鞋の感触を
その時々で、草鞋のクオリアは無意識のうちに強化されていたろうが、 このとき悟りを開いたがごとくに、強烈なクオリアを感じ取ってしまったに違いないと思うのです。
そう あの日には理解できなかった草鞋をはく意味を 強烈なクオリアとともに知ってしまったに違いないのです。 ほんとうに理解するというのは、そういったものなのでしょう。 まさに この草鞋が自分自身であるかのような大いなるクオリアに支配されたのです。 そういうクオリアを強いるものには 同じような特性があるように思う。 普段それほど意識してないにもの。にもかかわらず、 それが発する感覚の源が、誰にとってもビビットでクリアであるもの。 何かが喚起したそのときには、蓄積されたクオリアが瀧のように溢れ出るようなもの。
いわば、一言でいうならば、詩的なもの。 人の心のなかに、共通に棲みつく蝶のようなもの。 生涯それに気づかない人もいるが、確かに皆にあって、時々飛翔してるのを垣間見る。 が、ひとたび扉が開けば、天を覆いつくすほどの蝶の群れとなる。 そんな特性をもつもの。 ちなみに余談ではあるが、 私にとって思い出深い履物は、草鞋ではなくやっぱりスポーツシューズだ。 なかでもバスケットシューズは底が抜けるまで履いたように思う。 中学、高校とさんざんバスケットボールに明け暮れたからだ。 たいていは、踵の部分が磨り減って、穴があくのだ。 それにまた、シューリペア(樹脂系のもので、固まってゴム状になる)で 何回も修理して履いたものである。また、 バスケットボールもそうなのだが、シューズもまた自らの唾液をつけて磨くのだ。 すると、もちろん妙に臭うのだが、なんだか ぐんと風格を増す。 と同時にどんどん足に慣れていくような気がするのだ。 今でも、そのシューズを想うとにわかな臭気とともに、その雄姿がくっきりと思い出される。 今ここに、それをもってこられたら 良寛同様泣いてしまうかもしれない。 そもそも履物は、身体的に劣勢な人という動物が、足の保護のために作ったものだが、 おそらくは“うつわ”の起源に近いものだと思う。私はよくここで書いてきた。 “うつわ”の起源は、器状に丸めた手のひらだ!ってこと。 では足に履く履物の起源って考えた場合、ひと呼吸悩むわけだが、 それは“やっぱり足のひら”って考えられないだろうか。 足は大地の上に立たされているわけでなく、樹木がそうであるように、 足の裏から大地のエネルギーを吸い上げているのだ。いわば大地を両足で受け止めている。 荘子いわく“真人は踵で呼吸をし、衆人 は喉で呼吸をする”-なのだ。 これを気功の世界では足裏呼吸とか足芯呼吸などといい、大地の“気”を足の裏から吸い上げて、 体内をめぐらして、手のひらから逆に“気”を発したりするようです。 こういう意味では、履物は二次的なもののように思われますが、視点を変えればそれは、 “気”を吸い上げてくれる大事なポンプ(足)を保護するとともに、足に能く“気”を伝えるべき媒体ととらえられます。 つまり足が“気”のポンプなら、履物は“気”の呼び水のような働きをしてるのです。 通気がよく素足に近い感覚の草鞋などが、長いあいだ主流であったのは、この点でもうなずけるところです。 ところが履物の類は、あたりまえのことだが、ひどく汚れるものだから、ちょっと卑下た扱いをされてきた。 だが、この尊い責務と重い労を、本来は川崎大師の空海の草鞋のように、 丁重にねぎらってあげなくてはならないのだろう。 また、ついでと言っては恐縮だが、 わが良寛の魂の友とも言える 放浪の詩人たち 西行 芭蕉らの 履き古された草鞋も思い浮かべてみたくなる。 彼らの足元で、彼らの足元を守りながら、彼らにその地その地の“気”を送ったであろうそれを・・・ それとの惜別は、おそらく何十年も共にした愛すべき“うつわ”との別れと同じような郷愁か。 西行や芭蕉の時代に、日々旅する者の草鞋は、どうれほど保ち堪えたか。 日々補修したとして、ひと月履けたであろうか。 また今日でも、赤子が歩き始めてから、足の成長が停止するまで、何度靴を履き替えるのだろう。 その多くは、郷愁とともに捨て去られたはずだ。 その短い輪廻だからこそ、そこに独特の想いが生まれ、独特のクオリアが生まれるのだろうか。 鳥が梢で歌うように、風鈴が虚空で自らを振るわし音を出すように 履物は大地と足の裏の間で、それはそれはみごとに押し潰されるのだ。 それで短い一生を重々しくも軽々と終えていくのだ。 そう、靴を試着するのは、天から降りてきた霊魂が人の体を選ぶのと似ているのではなかろうか? 以前よく履いたが、履き潰して捨てられた靴は、前世の記憶のように生生しい。 刻まれた皺や汚れや臭気に至るまで確かに記憶されているのだが、 今の私には確実に失われてしまった何か そう 愛し失われた靴のクオリアは、 今、目の前にそれがないにもかかわらず、たしかにあるのだ。前世の記憶のように あるいは、強いクオリアとは、前世の記憶によって強化された感受性なのかもしれない なんて思う。 失われてはじめてわかるもの。失われたからこそ強いもの。失われるべきものの美しさ。 そういうものが、強いクオリアを伴って、人を動かすのだ。 そういうものが、良寛の目に涙を溜めるのだ。 さて、話はどんどん横にそれるが・・・ 履物を陶でつくる人がいる。 最近知人の紹介で知遇を得た人なのだが、★小野間亜紀さんという人で、 海外での生活の中で、陶の履物の創作に目覚めたらしい。 わかるような気がするのは、“海外で” “陶で” “履物で”ってところ。 海外での郷愁 陶のクオリア 履物のクオリアが、 健全な人の脳のなかで結合点を見出すのは、必然のようにさえ思える。 だが、めったにそんな創作にめぐりあわないのは、履物を卑下たものにとらえる先入観なのだろう。 純粋な心にしか、創作の芽が生まれ育つことはない。 そういう意味では、空海の草鞋に献水したいって気持ちと同様に、とても純粋な衝動だったと思う。
さて この長いお遍路のような書き汚しも、もうそうそそろまとめ?にかからなくてはいけない。 川崎大師を駐車場から出入りするとき、必ず通るところがある。 釈迦池だ。その池に無数の亀がいる。 入るとき、この亀たちを見て、心を脱落させる。 出るとき、またこの亀たちを見て、心をとり戻していく。 良寛が風鈴に自分を映したように、 空海が鳥の声に自分の心を映したように、 せめて私も、この池でこの亀となって浮かんでる自分を、一時味わうのです。 東寺や高野山には一度も行ったことない私、 ましてや四国お遍路など夢のまた夢 せめて、近場の川崎でプチお遍路。 どうでしたか?
瓜食えば 風鈴なるなる 平間寺 ♪ちり〜ん ★川崎大師の正式な名称は、真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺 |
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