良寛と遊ぶ

8月24日

買い付け旅行の最終日は、ふたつほど陶器屋さんに立ち寄り、
後は子供を海で遊ばしたりして自由な時間がとれた。
子供にとっては少しつらい旅行ではあったがきっと大人になってからも、この旅行のことを思い出すに違いない。私達夫婦が選び買い求めたうつわたちもまた、彼等の記憶のなかで生きていく事だろう。「うつわ」というモノが、親子関係のなかで何か核となるようなモノになり得たらうれしい。 

旅の終わりにはいつもセンチメンタルになる。そしていつも子供の頃よく味わった焦燥感に襲われる。子供の頃、日曜の夜サザエさんが始まると、何かとても切ない思いがしたのに似ている。サザエさんは、自由な楽しい日曜日という旅の終わりを告げていたのだ。

駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく
             風たちの時を呼ぶこえ

といみじくも詠んだ寺山修司もまた最晩年になるまで、自己回帰の旅を続けた。メディアを軽々と越境していった寺山は、立ち止まると時に追いこされる焦燥感にさいなまれながら、いつも自分自身と故郷に回帰していった。走り続けてふと気がつくとそこは、荒涼とした故郷だったという構図は寺山のスタイルとまでなっていた。私はそんな寺山修司を青年期にとても愛していた。

さて良寛は青年時代に「名主の昼行灯」と呼ばれた故郷から抜け出すように仏門に下る。つらい長い修行を極めて、諸国行脚のすえ二十年ぶりに良寛がたどりついたのは何処・・・

 きてみれば わがふるさと 荒れにけり
     庭もまがきも 落ち葉のみして

と歌った良寛は、乞食のような托鉢坊の身を恥じていたようですが、それでもその身をを故郷に曝そうとしたのは何故でしょうか。そこが行き着く場所だからとしか言い様がありません。マザコンを売り物に常に自分を曝け出した寺山修司と対極的な類似を感じます。

 

 人生は自己回帰の旅である 

と言ったのはいったい誰だったでしょうか。

今回何人かの陶芸家にお会いした訳だが、はるばる私は何人かの自分自身に会って来たのではないだろうか。という「青い鳥」のような陳腐な結論によってこの買い付け旅紀行は終わりにします。
-「良寛と遊ぶ」は継続します-

 

 

このわが子の写真は小津安二郎の
東京物語のあるシーンを思い出す。

老夫婦が東京の旅に疲れ果て
堤防に腰掛けて語り会うシーン。
旅の終わりには
やはり自己回帰がある。

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