さて静岡の陶芸家清水邦生さんと知子さんと
安倍川が近くのショップ(展示室)でお会いした。
そこは、知人から借りた旧民家で、とても趣きのある佇まいの中に
邦生さんと知子さんの作品が、展示されている。
邦生さんは、堂々とした風格のある茶陶と、漢字シリーズなどの
アーチスチィックな焼き物などで、個展中心の活動をされている。
奥様の知子さんは、邦生さんの影響をうけつつも、
日常的に使いやすい食器を中心に作陶されている。
このお二人のあいだには、重くて堅い漬物石は存在していないかのようだ才能と包容力あるご主人と、
ご主人を心から尊敬する明るいきれいな奥様との間には、
二人の愛情に育まれたこの日お誕生日だったお子さまが、
存在するだけで、漬物石はしっかり漬物樽の上に
鎮座していることだろう。
さて、焼き物はというと、やはりお二人の間に存在していた。
と言うのは、四日市の熊本さん、常滑の稲葉さんに、
親子間のしのぎあいの中にうまれる良き焼き物を見たが、
清水さん夫婦には、夫婦間の良い影響を感じたからだ。
具体的には、人を感動させるような焼き物を指向する邦生さんと、
優しい使いやすいうつわを指向する知子さんの間に、
矛盾しない良い結果が生み出されているようだ。
こんな例えは失礼かも知れないが、慈悲をもたない叡智は、ひとりよがりになりがちで、叡智のない慈悲は、浪花節的で陳腐なものになりがちだ。
そこでは、叡智と慈悲が溶けあって、よき焼き物となっている。
だから、邦生さんの作品も、知子さんの作品も、
作者を分ける事が無意味なことのようにも思われる。
知子さんの技術力を支えているのは、邦生さんで、
邦生さんの精神的ゆとりを支えているのは、知子さんなのだから。
親子からは、反発して生まれ、夫婦からは、溶けあって生まれるようだ。それは化学的な法則のように確かなことのように感じる。
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