良寛と遊ぶ8/21PM

 

8/21午後 丹波の今田に着く。
丹波立杭窯のある静かなところだ。
丹波伝統工芸公園 「陶の郷」をひと通り見学すると
丹波焼きが見えてくる。
窯の点在する場所もそれほど広くなく、
歩いて散策できる適当な大きさの産地といえるだろう。
ただし、ここは一度絶えた窯と言っていいだろう。

明治以降、再興されたので、
現在の主な窯元は2代目から3代目である。

そして、益子や信楽のように外部からの作家はまだまだ少ない。皆無に近い。

陶芸家 市野清治さんを訪ねる。
奥様がでむかえてくれた。
前々から思っていたが、陶芸家の奥様は皆美人である。
とにかくこれに例外はない。
母屋から、市野 清治先生がのそっと出て来られる。
これも前々から思っていたが、
陶芸家はほとんど飾り気がない。
ネクタイに背広が似合わない。
清治先生は、ほんとうに自然体でむかえてくださった。
以前に陶芸好きのジャーナリストの方といっしょに
我がDENにいらしてくださったことがある清治先生は
ある意味で、丹波ニューウエイブの旗手である。
世代の変わり目、若い者の筆頭にいる。年齢的にも
経歴的にもリーダー的存在といえるのだろう。
ここ丹波の陶工たちは、安価な日用食器をかなりの量生産している。
それは、清治先生ほど名の知れた方でも同じで、
そういったものをご自分で轆轤ひいたり、
型でとったり、量産の釉をかけたりしているらしい。
だから、ここ丹波の窯元には従業員は少ないようだ。
家族で自足している窯が、ほとんどといえるだろう。
そんななかで、公募展が
ある種の大きな意味をもつようだ。
若いひとは、安価な日用品をつくる合間に、
自分の作品をつくり、公募展の入賞をねらっている。
しかし、ほんとうにやりたい焼き締、自然釉では
なかなか入選できないと言っていた。
そういった作品では備前信楽のものに勝てないそうだ。
それは主に土の違いだと言っていたが、
私は陶芸界の力関係だと思った。
だから技巧的、ある意味で作為的な作品も作るそうだ。
今の陶芸家は大変である。
自分の意に反するものも時にはつくる。
職人と芸術家と経営者をこなすのは、
至難の技にも感じられる。

しかし市野清治さんは、そういった多面性を
なんなくとこなす力強さがある。
がっちりした身体と太い腕から生み出される焼き物は
猛々しい力に満ちている。大胆かつ繊細な焼きもの。

直球剛腕投手の男いきと、
それを受け止める伴中太のような懐の深さ。

陶芸家市野清治さんは、スポコンマンガの主人公のまゆげをしてる。

 

良寛おじさんは、やせっぽちで貧弱な身体をしていた。
けれど、 良寛おじさんもやっぱり
スポコンマンガ主人公のまゆげをしていたんじゃないかと私は思う。

市野清治さんの丹泉窯をあとに、清治さんに案内されて
市野秀之さんの雅峰窯に向かった。

 


お店の前で
うしろに丹波のやさしい山並を望む

 


市野清治さんの玄関先で
やっぱり、陶芸家と犬はセット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 市野秀之さんの雅峰窯は市野清治さんのとこから
歩いて2.3分のところ。
もっと簡単に言えば数軒先の並び。
秀之さんいわく

『清治さんは仕事のことで
いつもご指導いただいてる大先輩』だそうだが
ギブ-アンド-テイクな面はかなりありそうだ。
証拠に、愛犬はお互い親戚だそうだ。
窯に伺うと秀之さんとお母さまが
満面の笑顔で迎えてくれた。
秀之さんは、前日の野球でのヘッドスライディング
のなまなましい傷を顔に、電話の対応に追われていた。
私と同じくらいの歳。社会的立場も同様にいろいろ
のしかかってきているようだ。
会や組合に非常に多く参加している様子で、
その会や組合の中で、中心的な役割を担い
みんなから、常に頼りにされているようすだ。
そういった仲間から、
ひっきりなしに電話がかかってくる。
秀之さんを見ていると、動きに切れがある。
くよくよ考える前に、行動し先手を常にとっていく
タイプの方とお見受けした。
その決断の早さときっぱりした性格が、
まわりの人を惹き付けているのだろう。
お茶を出しにきてくれた奥様は、これまた美人で、
精悍な秀之さんにお似合いのかわいい方。
突っ走っていく秀之さんと、
影でささえるしっかりものの奥さん
ってかんじ。うちの夫婦もよくこう言われる。

さて、秀之さんの雅峰窯も、清治さんの丹泉窯同様、
多くの日用品の食器類の生産に追われている。
しかし、公募展入選と思われるとても大きな花器が
何点も堂々と展示してあり、
秀之さんの精力的な仕事ぶりが想像される。
残念な事に、作家ものとしての食器にはここのところ
手がまわらないって感じでもあったが、
定番となっている端正な皿やカップには、
丹波の土味を生かし雅峰窯が誇る釉を使った
秀作がある。秀之さんは、丹波焼きを代表するような
ホームページの主催者だから詳しくは
雅峰窯を見て下さい。
雅峰窯を出るころにはもう日は
どっぷりと丹波の山あいに暮れていた。

 

その日の夜は、祥子(妻=DENの店長)のいとこの
家でお食事をごちそうになった。
祥子の母は姫路の出、父は岡山出身。
そういうこともあり
仲の良い従姉妹がここ丹波に嫁いでいて
姫路に住む従姉妹も車でわざわざ会いに来てくれた。
私は皆初めての人たちだったが、皆同年代で気が合い
とても愉しい夜を過ごした。
丹波の従姉妹の旦那さんは、大工さんで建築のことで
話がはずんだ。旦那さんは、雅峰窯の秀之さんと
高校時代同じ高校で当時大きな喧嘩をしたそうだ。
そういえば、二人とも高校時代なんかは
手のつけられない暴れんぼうって感じだったろう。
丹波の両雄決戦というところか。
それ以来今も交流がないそうだ。
そういうところが尚、面白い。
なにかのきっかけで急に親友にもなったりするのだろう
丹波の男は気概がある。城下だからだろうか。
丹波の武骨な土に似て、
丹波の男は、武士のにおいがする。


丹波立杭焼きのパンプ表紙

 

 

 


雅峰窯の展示室にて

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