2000/6/19
仕事で鎌倉にいた
杉本寺という鎌倉最古のお寺の庫裏の雨漏りの修理にいった.
午前中で終わったので、鎌倉に来るとよく行く中華やさんに行った. 若宮大路 八幡宮にむかって右側「豊洋酒家」だ
行くと大概空いている.私がその店に付いたのが昼の12時少し過ぎたくらいなのに、誰も客がいない私は、入るなり青島ビールとピータン豆腐を注文した.それから、ピータン粥にしようか、とり粥にしようか迷ったが、ピータン2種はあんまりだと思って、とり粥にした.
ところが、である
ひとり別の客が入ってきた. それも私の前方ほとんど真向かいの店の端に座った.開襟シャツに涼し気な麻のズボンで、中肉中背、歳のころは、60くらいかなあ…
それが、である.
メニューをろくに見もせずに、いきなり「ピータンとね、そうピータン. それとピータン粥頂戴」それを言うなり、ピータン豆腐を食べてる私の方をちらと見たか見ないか、彼の口の端が少し上に上がって、ふふっと笑ったか笑わないか.
しまった.
初夏の鎌倉に一陣の冷風がうなじをかすめた気がした完璧な敗北感!
そうもうお察しと思うが、ここのピータンを私は、愛している。しかし、こんなに空いているこの店だから、これを知っているの人は、たぶんあまりいない。そう思っていたが、ここで完全にはまってしまった.
負け この2文字を背負い とり粥をたべる私を観光異人がせせら笑うかのようにウインド越しに見て通る。
今度ここに来たらかならず、この借りはかえすぞ
心に誓って店をでる私に、つゆの合間のぶっきらぼうな日ざしが照りつける。
やばい!敗北者をシンボリックに演じてしまっている.
気を取り直すため、はす向かいの陶器やに小走りに向かう.
我師、良寛様 無心とは如何
そこは、知る人ぞ知る有名陶器店。
4、5年前たしか若宮大路に出店した老舗だ。
信楽の巨人 神崎紫峰(現在は置いてない)、
青山鉄郎(美濃)、奥田義則(美濃)、小西陶蔵(備前)、多久 守(備前)椋原佳俊 (萩) 吉村晧司 (萩)などの作品が並ぶ。
店に入ると私は、食器類の方へと行く。花器や茶器は、じっくり見たいものだが、時間のないときは見ないようにしてる食器類へと目がいくのは、業務的な必要性もあるからだ。
つまり、気に入った作家がいれば、仕入れに繋がる訳だ。
一番奥の少し照明が落ちたところに、穴釜で焼いた急須が
あって、すぐ気になって手にとった。すると店主らしき人が極自然に近付いてきて、私に声をかける。
それはいいものですよ。
確かにいいものだ。
穴釜でしかでない景色だと熱心に話す店主。
もちろんこちらも、ふむふむと興味深く聞く。
この店主に比べれば私などはただの素人だ。
学べることは、学べるだけ学ぶべし。こちらが興味をもてば、こだわりのある人ほど熱心に返してくれるものだ。
だから、私はうまい食い物屋に行くと、シェフや板さんの前のカウンターで、うまいうまいを連発する。
すると、どんどんうまいものが出てくるものだ。
それが、職人気質、商人気質ってものでしょう。
さて、私は躊躇なくその急須を買う。
私は、悩まずぱっと買う方だから、店主は、買いっぷりに気を良くする。だから、私が目をやる陶器に
これまた熱心に説明をしてくれる。
私もどんどん高価なものへと目が移る。
店主もだんだんうれしくなる。
ウインドウのなかの何十万円もする花入や水指を無造作に鷲掴みにして、どうだとばかりに片手で私の鼻っつらに差し出すのだ。その度私は、背筋に電流が走る。
どれも、みごとな自然釉の焼締。
美しさを超越したような存在。
私の青春時代の教祖、寺山修司がよく言っていた
「偶然性を組織する」って言葉がある。
まさに、そんな焼きもの。
組織された炎のドラマツルギー
はたして炎にドラマツルギーがあるのか知らんが、そう言いたくなる作為のない作為。
以外と価格が安いのにまた驚く。
これならきっと目の肥えたひとは買うだろうな。
ああ、実にいい勉強をした。
ピータンの時のように敗北感がない。
最初から負けてる時は、得るものばかり。
「欲なければ一切足り、求むる有れば万事窮す」
こういった敗北感の無こそ、
無心に通ずるのかもしれない
「こころに可なり火焔の陶」
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