息子(小6)の夏休みの宿題(自由研究)をいっしょに考えてるうちに、 ぼんやりとしたイメージがしだいに曼陀羅化していくのを感じた。
さてさて、実際重りを揺らしてみると、3300mmという長い振り子の振れっぷりには、それなりに感動がある。潜在してた?こども心がムクムク顔だす。ターザンやインディージョーンズの活劇感か?あるいは天体運行のロマンか? 『振り子の長さが同じであれば、振り子の重さが変わろうと、往復する時間は同じ』という法則は、私が子供の頃教わったときも、なんだか解せないものがあったように記憶している。なんだか大人に騙されているような・・・そんな気分だった。 が、こうやってあらためて実験してみると残念ではあるが、その法則がまさに正しいことが明確になる。どんなに大きく揺らそうが、そっと小さく揺らそうが、重りを変えても、結果は同じになる。あたりまえのことだが、このゆるぎない明確さに、逆に世の無常観を感じて切なくなってしまうのは、私だけだろうか。ぶらんぶらんと大きく触れてる振り子を見つめていると、活劇的わくわく感から、しだいに心は沈静して、しまいには人生の浮き沈みを見てるような気分になってきた。 大きく振られる振り子は、そのぶんだけ逆にも振られ、小さく振られる振り子は、逆の戻りも同等に小さいが、エネルギッシュでなくて見ててつまらぬ。見る視点によって、人生同様に評価が変わる。 位置エネルギーの高いところ(A,C点)では、運動エネルギーはゼロに近く、位置エネルギーの低いところ(B点)で、運動エネルギーは最大になる。 人生に置き換えるとすれば、社会的に高い地位にいる時は、変化に乏しく、社会的には最低の生活をしてるような時に、目覚しい変化を遂げる。 また、左右に触れる振り子の、右と左のどちらに価値を見るかもある意味問題だ。たとえば、右側が俗世界の高みで、左側が精神的高みだとしたら、右側の高さは、物質的豊かさと共に、世に評価されることが多いだろうが、左側の世界は人の評価を拒絶する。どこに価値を見出すかによって、振り子はいかようにも見えてくる。振り子の重りは、人それぞれで、重い重りもあれば、軽い重りもあり、大きな振幅をするものもあれば、小さな振幅をするものもある。
逆に、歳をとると重さも減少して、振幅も小さくなり、やがて振り子は止まる。で、止まると線香花火みたいに下方にぽとりと落ちるのか。いやいやその逆で、重力の糸の方が切られるんだと私は思う。死んだらふわりと吊り上げられるんだと思う。物体である身体を捨てるのだから。 名監督の山中貞夫の作品に、『人情紙風船』っていうしぶい作品がある。その映画では、ふわふわと風に流される頼りない人生を象徴して、紙風船が絶妙にビジュアル化されている。なんともうまい題名だし、紙風船はとてもフォトジェニックな象徴だ。 かえして、振り子はどう? 振られた振り子を止めようもなく、右に左におおきく振られる人生や、振られることを楽しむ者もいれば、振られる恐怖に自ら糸を切る者もいて、人生ってつくづく振り子だなあと思うのだが、それが絵や詩にならないのは、振り子が日常にあんまり存在しないからだ。振り子時計も今やめったに目にしないのだから。 私の知ってる限り、日常的に振り子が存在しているのはチベットだ。マニコロという名の仏具で、円筒形のものに振り子状の重りがついていて、手で持ってくるくる回すのだ。円筒形のもには、お経がぎっしり書いてあって、それを一回まわすと、お経を一回読んだことになるのだそうで、お経を読めない者もそれがあれば功徳できるとあって、とにかくみんな持ってるみたい。いづれにせよ、回転運動や振り子運動が生む繰り返しの効用が、宇宙の謎を解く鍵なんだなぁって思う。 まあ、そんなチベットであれば、『人生マニコロころりん』みたいな映画もできようが、日本じゃなかなか無理で、せいぜい法話に登場させるくらいなもんか。
てまり上人の我師良寛も、懐に始終、毬をしのばせていたというが、それは人に教訓めいたことを言うためじゃない。良寛が懐から毬をとり出して、傍らの子供に『人生これ毬突くごとし』なんて決して言わなかった。良寛はそんなに無粋じゃない。ただ子供といっしょに毬で遊びたかっただけ。ただそれだけ。 さて、突然ではあるが、良寛にはめずらしく劇的な口調でつづった漢詩を紹介しよう。元官職にありながらやがて非人となり、橋下に暮らすうち、増水した川に流され死んだ八助を思って作った歌だ。
非人として無一物で空しく死んだ八助という見ず知らぬの者を、人に聞かれたら、『川面に映る明月だと言おう!』と讃えた歌だ。先ほど、振り子の右側が俗で、左が聖と言っただろうか。良寛は『僧に非ず、俗に非ず』と自ら言ったように、右か左か、俗か聖かを問題にすることは愚かだ。振り子の右側で死んだ八助を讃えるのではない。人間ひとりが、貴賎の差別なく主人公足り、その軌跡こそが月のように美しいと解したい。最近のテレビでは、いつも結果的な成功者の苦労話が番組になるが、逆に末路が悲惨な人生を取り上げようとしないのは残念だ。そちらの方がずっと振り子のような人生の真理を浮き彫りにするはずなのに。日本文学史に燦然と輝く名作-平家物語のように・・・ たしかに八助の人生も振り子のように大きく振れたが、良寛の生涯もまさに振り子のような人生だったと改めて思う。 越後の名主の長男に生まれた良寛は、放蕩息子だった。文や風流はよくするが、仕事や手配のできない若者だったようだ。きれいな服を着て、栗毛の馬に乗り、よく遊郭に行ったものだという漢詩も残っている。が、順風の生活に何かの大問題が起こり、突如出奔!!そのための出家か。父や母に対する愛情はこの上なく強いものだったようで出家は尚の事辛いものだったと想像できる。生まれ故郷の新潟を発って、18歳から34歳の多感な頃を岡山の円通寺という大きな寺で修業している。それはある意味、振り子の振り戻しの時期であったのだが、真に深い意味をもつのは、次の6年間だと思う。円通寺を出て、6年後故郷の新潟へたどり着くまでの、諸国行脚の旅。この時期の良寛を伝えるものはほとんどなく、良寛が世の中から姿を眩ました時期である。しかし、世から見えないこの時期にこそ、良寛は大きく変化を遂げていたといえる。いわば、位置エネルギー最低で、運動エネルギー最大の時期。この後、良寛は故郷に帰り、にわかに人と交わりながら、有名な五合庵に棲み、精神的に安定した時期を過ごすのである。それからの良寛は大きく振幅することをやめて、『僧に非ず、俗に非ず』を貫いて、両方に自在に揺れた。 突然の出奔の原因は謎なのだが、18歳に満たない若者がしでかす問題っていうのはだいたい相場が知れている。女だ。女性問題に決まっている。軽はずみな言動で、女を不幸にしちまったとか、家柄問題がからんだ駆け落ち沙汰とかだ。 女にみくだりはんを渡すことを、“振る”っていう言葉を使うのも、振り子を想起させる。女を振ると、自分もその反動で大きく振れる。いい方向を求めて振ったはずが、逆方向に大きく振られたりするものだ。でも、その振ったり振られたりで、人は大きく成長したりもする。 人は 貪欲なせいか つい重い振り子を振ろうとするが、糸の長さが同じなら周期はいっしょなのだ。 なまじっか重い振り子を振らせたら、その倍返しに耐え切れないかもしれない。 自分のうつわの重さを振ればいいのだろう。 できれば、金属でなくて、陶器ぐらいでじゅうぶんかもしれない。 良寛の辞世とされている句は、 そんな振り子的しぐさを軽やかに歌って、ばかに潔い。 裏を見せ 表を見せて 散るもみぢ しかしだ!裏や表を見せて散るもみぢが美しいのではない。 左右に触れながら落ちて行く良寛というもみぢの残像こそ美しいのだ。 良寛には、ほんとは辞世など無いらしい。 やっぱりって感じだ。上の句が辞世っていうのは、できすぎでしょう。 この句は、貞心尼が後から辞世としたものらしい。 辞世はと聞かれて、『死にとうない』と言ったとか、 ただ『あ〜』と言ったとか伝わるが、やっぱり無かったようだ。 それが一番良寛らしい。 ある日ある時 静かに振り子は止まって、 重力の見えない糸がぷつりと切れ ふわりと月の方へあがったんでしょう きっと。 かくゆう私の振り子は短小で、 風鈴みたいに 風に振らされ、いつもちりんちりんと 鳴らされているような気がします。 さてさて ここまでお付き合い願い、ついでと言えば、まったく恐縮ではありますが、 ここで改めて三つ指をつき、襟を正して申し上げます。 残暑お見舞いもうしあげます。ちりんちりん〜
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