物心一如のシノギスト 後藤義国
2007後藤義国作陶展によせて 2007年10月16日から
また今年も後藤さんの個展ができることをたいへんうれしく思います。 今年は特に、後藤さんは新居にお引越し。そのうえ、窯も変えましたので、 窯が安定して使えるようになるまで、正直不安でありました。 しかしながら、これも後藤さんの人徳のなせるわざでしょうか。 当初の個展のスケジュールより若干遅れはしたものの、たいへん完成度の高い作品をそろえてくれました。
先日後藤さんと電話でお話したときも、この引越しにまつわる決意とご苦労をいろいろ話して下さいましたが、 その大きな動機が、後藤さんご自身の作陶に対する向上心からだということを、実感しました。 後藤さんいわく こうです。 『ある先輩に言われたんですよ。作るものを変えたいんだったら、(生きる)場所を変えないとって』 これには、思い当たる極端な前例があります。 益子で開花し、単身岩手県遠野に移った、鬼才 加守田章二氏の事であります。 加守田章二は、伝統的な技法で多大な評価を受けていたにもかかわらず、 その伝統的な陶芸と決別して遠野の山奥に篭り、新しい陶芸のあり方を追求したと言われています。 後藤さんが、加守田章二氏を意識されたどうかは、別の話ですが、たしかに益子は 陶芸家にとって他の産地よりも、生きやすい場所なのではないかと思います。 地道に生きていけば、なんとかやっていける場所とも言われます。 しかしそれだけに、作品と作陶生活のマンネリ化に流されやすい場所とも言えるのでは、ないでしょうか。 堅実な後藤さんが、この引越しを決意したのは、たしかにこういった“益子の病”からの脱却があったと思います。 それが益子圏外ではないにしても、精神的な益子からの脱却に思われます。 それでは、作品の変化についてですが、それはこれからの課題なのだと思います。 が、すでに今回の個展用に届いた作品には、変化の兆しが感じられます。 具体的にどうって言われると、返答に困るのですが、なにか以前より吹っ切れた感じがします。 根気を要する細かな仕事にも、以前よりも幾分伸びやかさが、感じらる気がします。 粉引での作品一直線で、わき目も振らず生きてきた後藤さんでありますが、 ここ数年の鎬(しのぎ)の作品には、“鎬を削る”という慣用句が、ぴったり。 自分自身の作品を相手の刀として対峙して鍛錬を積んできたと言えるでしょう。 それがここにきて、見事に開花しつつあると思います。 いわば、“多くの粉引陶芸家の一人”から、“孤高の鎬の陶芸家”への転進だと感じます。 世に粉引の陶芸家は、星の数ほどいても、鎬の手法を極めて作品のほぼすべてに鎬を施す陶芸家は稀です。 それは全国行脚しながら、仏を彫ったという木喰上人を連想させるほど。 ひと彫りひと彫りに思いを込めつつも、かつ、ほんとうの無心で彫り続けなければ、できないような量に来ています。 量は、ある量を超えると、決定的な質的な変化をもたらします。 これは、最新の科学が証明することでありますが、昔から工芸の世界では言われてきていることです。 そういった質的飛躍の域に達しつつあるように思います。 さて話は変わりますが、 今回案内状の写真を撮るために、送られてきた後藤さんの作品は、とても大きなうつわでした。 食べ物を盛るには、それはそれは大きなうつわで、ちょっとお手上げ状態になってしまいました。 けどしばらく考えた挙句、その大きなうつわに水を張ってみようと思ったわけです。 それを窓辺において、空を映してみようか。それでおもしろい絵が撮れないものかと。 そこまでは、撮影者の作為だったのですが、いまひとつ 面白くありません。 レイアウトや構図を変えている間に、疲れてしまいボーっとその大きなうつわに張った水を見ていました。 すると、その水面に突然変化が起きました。 急に激しい風が吹いてきて、大粒の雨が窓から吹き込んできたのです。 あわててシャッターを何回か切りました。 不意の雨が作為を消してくれて、いい絵が撮れたような気がしました。 けれど また雨が吹き込んで来ないかなぁなんて、欲を出しても、今度はもう来ません。 しかも、雨が来たとしても、もうその絵は作為でしかなくなってしまいます。
後藤さんの一途な心が、鎬のひと筋ひと筋に現れているような感じです。 さらに言えば、 物に心を移す(映す)事と、 『作るものを変えたいんだったら、(生きる)場所を変えないと』という言葉は いまや密接に関係しているように感じます。 自分を移すことと、自分を映すことは、DNAの自己複製力と同じ。 それこそが、生命力でありアートの源なんだと感じます。 逆に言えば、生命力やアートの源泉は、移動への情熱であり、自己複製への情熱なのだと思います。
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