今年も後藤義国さんに展示会を受けていただきたいへんうれしく思います。 うつわのみせDENの開店当初からのお付き合いで、毎年のように企画展に出展していただてきた後藤さんですが、今回は個展ということで、いっそう渾身の展示会となることでしょう。 この機会にぜひ今回の展示会までの軌跡を振り返ってみてください。 2001年12月 壁を飾る陶展と大きなうつわ展 2002年12月 注ぐ陶展 2003年9月 TOGETHERNESS-夫婦のうつわ展- 2005年 後藤義国&レジーナ・イワキリ二人展 いかがでしょうか。 後藤さんが、どんなにか真摯に陶芸に生きてきたかが見えると思います。 また以前書いたものですが、こんなページ(後藤義国という犀の角)も・・・ 今回も新作を用意してもらっていますが、いままでのたいへんすばらしい定番作品も 見逃さないでほしいので、数点見ていただきましょう。
これらを凌ぐうつわが、今回も出展されるのだろうか?それはわからないし、そういうことに興味があるのではない。それよりも、また後藤義国さんの世界に浸れるのがうれしい。 今回、招待状(DM)の画像を撮影するのに作品を送ってほしいと頼んだら、後藤さんから壺が送ってきた。それを眺めていたら、中国の故事の“壺中天”を思い出した。 壺中天の故事はこんなのだ。 つまりこの故事の示す意味は“壺の中のように閉鎖された世界にこそ、ほんとうの楽しみがある”というような事なのだろうが、後藤さんの仕事からも類似した教訓が連想されてくるのだ。この広い工芸の世界において、あえて粉引の食器へこだわるのは、自ら壺の中に入るようなもの。それはまるで利休の茶室。壺中の世界は、引き算の美を突き詰めたわずか二畳の暗い茶室に似ている。自分自身と対峙せずにはいられない静寂な空間。そこで磨き上げられた仕事は、逆に小さな島国から飛び出て、大陸を飛翔する器物となる そんな気がする。“閉ざされた静かな落ちついた狭い場所で”というコンセプトは、このうつわのみせDENの、その名自体にも込められた思い。denは英語で小動物の巣穴を意味し、転じて“奥まった快適で小さな私室”って意味にも使われる。いわば、“壺中”=“den”なのだ。壺中は、閉ざされているようで、どこにでも通じている。“den”もしかり。突詰めた求心性が、逆に閉塞的な文化を飛び越える霊力を培うのだろう。後藤義国の仕事は、そういった壺中のイメージに重なるのだ。 そんな私の思考の経緯を知ってか、知らぬか、 後藤さんから、無理にお願いした今回の個展へのコメントが届いた。 とても朴訥とした文章だが、後藤さんらしさが漂っていて、ある意味雄弁だ。
後藤さんの優しく穏やかな声が、遠く果てしない壺中から聞こえた そんな気がした。 |
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