私は陶器屋でもあるが実は屋根屋でもある。 今日は午後から屋根の改修の仕事で練馬の方へいった。 やり始めたところで、 ぽつりと雨を感じて空を見上げると どんよりした雲が迫ってきていたので かたづけをすっかりすませたら、晴れてしまった。 こういう時はツイテ
ないと諦めるしかない。 無理をして雨漏りでもしたら、改修の時は えらい事になる。お客さんが住んでいるからだ。 一滴でも部屋に雨水が落ちようものなら、 たいへんな騒ぎになってしまうお客さんもいるのだ。 こうなったら、いかんともしがたい。 ひたすら謝るだけだ。 しかしながら、わたしが常々思っているのは、 日本の家というのは、ところどころに隙間をつくって 風通しを一番に考えてつくるのが、最良だと考えてる。 先日、私は瓦屋根の新改修方法で、一枚一枚の 瓦の廻りに全部、シール材を注入してしまうのを 見たが、これはたしかに雨漏りを一時期完全に防ぐが、 屋根裏の換気をおそらくはかなり悪くすると思った。 さて、われらが焼き物の場合も、うつわは漏れてはいけません。 しかし、極端に敏感になってしまってもいけません。 なぜなら、日本家屋が風通しを重視してきたように、 焼き物もまた、その土の疎であることに 趣を感じてきたからだと思います。 疎であるがゆえに、焼き物に『気』が入っていったり、 『気』が出てきたりするのではないかと感じます。 均一でない土だからこそ、趣きがある陶が生まれるような気がします。 ひとつの好みにすぎないのかもしれませんが、 日本人が古く縄文の時代から培ってきた美意識だと思うのです。 密でない事。 疎である事。 隙があること。 大事にしなければいけないことだと思います。 したがって、日本の風土に北欧住宅のような 完全密閉した家屋はそぐわないように思うのです。 それにしても、焼き物(うつわ)と屋根は似ています。 水との戦いでありながら、水と戯れるようなところがある。 陶芸もそうですが、ちまちま神経質になってはいけません。 屋根は勢いよくリズムで葺き上げなければいけません。 と私は思うのですが、 世間は許さない場合も多々あります。 では。
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