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--出展陶芸家-- |
注ぐという行為は、なにか神聖な感じがするのは私だけだろうか。 瀕死の釈迦にスジャータが与えたミルク。
キリストの血として与えられるワイン。
洗礼の水。 清めの水。 恵みの雨。 そして、太陽の光。 |
注ぐ行為は、私たちも毎日何度もしていることだが、液体を捨てる行為と決して混同してはならない。 注ぐとは、生かすこと。布施とか慈愛の意味があって、排水口にただ単に水を捨てるような事とは、区別したい。 |
もっと神聖な、もっと有用な、もっと愛に満ちた行為として、日々意識するべきことのように思う。 |
徳利から盃に酒を注ぐ時、 新鮮な野菜にドレッシングを注ぐ時、 急須から湯のみに茶を注ぐ時、 片口鉢からよく味のしみた汁を、飯に注ぐ時、 |
そんなとき、あなたは、愛が波打つのが見えますか? 盃が、うれしくてほほえむのが見えますか。 野菜が、いっそう瑞々しく華やぐのが見えますか。 湯のみが、お茶とまみえて赤らむのが見えますか。 飯粒が小躍りして喜ぶのが見ますか。 |
注ぐの語源は、“そそ”という水の音。擬音語から発生した動詞です。 |
“そそ”というささやかな響き。 無頓着な人なら、聞き逃してしまいそうな“そそ”。 しかし、心ある人はそこに愛があることを知っています。 そそ… 愛が波うつ 2002年暮れ “注ぐ”陶展
★コラム 『注ぐうつわと下町天使』
も是非。
音に導かれて…