第35回へんど陶芸展の御招待状です。 |
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その日、私はなすべき仕事を放り投げ、DEN(横浜市青葉区)からデジカメを鷲掴みにして、愛車の軽トラックに飛び乗り東名高速を西へと向かった。それは2001年3月3日桃の節句、春の兆しの見えかくれする日だった。 日本のやきものメーリングリストで、お話を聞き及んでいた陶芸グループ『へんど』の展示会と主催者の芳村俊一先生の講演のため、三島の会場へ着いたのは、講演の始まる20分くらい前だった。 後に八木さんから郵送して頂いた写真から 会場の入り口には立派な木彫りのへんどの会の看板が立てられ、35回を数えるこの展示会の活動の濃さを証明している。会場に入ってすぐ芳名帳に記入すると、たくさんの中からぐい呑みをどうぞと勧められた。 私がいただいたぐい呑み。後ろにあるのは肥沼美智雄の徳利 来場者に対する心くばりが、にくい。さ〜ッみるぞ〜って感じで一通り回った。まず、その質の高さと出品作品の多さにびっくりさせられる。同じようなものが一つもない。上のDMを見ていただければ、だいたい想像がつくでしょう。(というのは会場では写真が撮れなかったからです。禁止されていたわけは、ありません。私が慌てて持って来たデジカメには、メモリーカードが入っていなかったのでした。その事実を知るや、かなり動揺した私は、何がなんでもこの目で記憶するしかないと思い直して、作品をひたすら熱心に鑑賞した。)ひとつひとつが作品としてすばらしく、感動をよぶというよりも、むしろ展示会全体の、作品の集合体としての、地から沸き上がるようなパワーに圧倒された。 後に八木さんから郵送して頂いた写真から それもそのはず、それらの作品はほとんど自分達で掘ってきた土で作られたもので、釉も採取による自家製か、単純な透明釉を使い、土が本来持つ色を引き出しているのである。また、このグループはほとんど自分自信で窯をつくり、自分たちの窯を持っている。そうするように勧めているのも、もちろん主催者の芳村先生である。“ああ、この方が芳村先生だ”とすぐに分った。周りの方が気を使っている訳でもないのに、芳村先生が発してる強い気は、すぐに常人でないことを理解させる。“子供のようなご老人”とは失礼な言い方だが、老成した教授めいたものを感じさせず、子供のようなギラギラした好奇心をもった方のようだ。一目でこの方が好きになった。私は先生の著作『ダレでもできる自主陶芸』という本に魅せられて、先生のファンであったのだが、その時やっぱり来て良かったと思った。講演の内容も素晴しいものだった。
先生はまず、人間が、ものをつくることの二つの要素を提示された。それは、技術と発想(主体性)。蟻やハチが上手に巣をつくるのに、技術も発想もない。人間だけが、この技術と発想をもち、特に技術だけを分離させて、伝えたり、盗みとったりできる・・・と話は進んで行く。 そこで、先生は分厚い画集のような本のあるページを見せられた。稚拙だが、おやっと思わせる大胆な版画だ。実は先生の娘さんが、3才の時書かれた先生と奥様の肖像なのだそうだ。そう聞くと尚ほほえましく、暖かい作品に思えてくる。先生はそれを見せながら、“技術がないから発想(パパとママを書きたい!)だけが、浮き彫りになって”、自由で大胆でおもしろい作品になってると説明される。と、そうか!うまい展開だな〜と感心してしまう。身内の裏話しを交えて、自分の身辺の方にグッと惹き付けておいて、バサッと突き放して一般化してしまうとこなんか、武士の立ち会いの間の取り方を思い起こさせるドラマチックな展開だ。さ〜て、これから核心の陶芸の話となっていく。
ある時、先生は光悦寺の回りから掘ってきた土を、たまたま1120度ほどの比較的低温で焼いたそうだ。光悦の土は、比較的高温の1250度以上で焼くのが定説だが、その時はたまたま、窯の空き具合で低温の窯に入れて焼いたのだ。その事が、先生に“啓示”をもたらした。それは、いつもと全く違う美しいを発色して、先生の頭をガツンと叩いたのでしょう。それで、できるだけ高い温度で焼くことにこだわっていた焼成法を、180度変換。土が本来持っている色を、引き出してやるためにそれなりの温度で焼成することを思いついたと言われる先生は、“啓示”とも“頭をガツン”ともおっしゃっていないのだが、しだいに力の入ってきた弁舌は、そのニュアンスを感じさせるのだった。その時点で先生は72才だったそうだ。人は72才でいままで培ってきたものを否定して、180度違う方向に走りはじめることができるのでしょうか。私はその時、そのバイタリティーを想像して身震いした。それから、主に中国から日本に伝わってきた技術の無反省な継承に対する疑問と、現在陶芸文化と縄文土器とを比較して、その発想性(主体性の発露)において、現在日本陶芸界の発想の貧困を嘆かれた。ここからは、しだいに具体的、専門的な話しとなっていくが、素人でもわかる簡潔な言い方で、各地の土の性質や、成り立ちなどを説明される。特に強調されたのは、中国の土と日本の土の違いである。中国の土は、特に有名な窯場付近とかでなく、どこから採取した土でも、1250度程度の高温に耐えるのに対して、日本の土の大部分は、1250度では、ぐにゃりとなってしまう。つまり1250度近辺の温度で焼く技術は、中国から輸入された焼成技術の踏襲にすぎないと断言される。日本には日本の土にあった焼き方が創造されるべきだと。 1時間30分におよぶ講演は、聞く人(60人くらい?)を惹き付けてやまない、あるいは強引に惹き付けていくエネルギッシュなものでした。この講演と展示会は、先生の著作『身近な土を焼く』(双葉社 陶磁郎ブックス)の出版記念を兼ねていたので、先生の研究やこの会の活動の詳しいことは、この本をお読みになってください。また先に揚げました『ダレでもできる自主陶芸』は、今回のこの本より先に出された姉妹本で、今回の『身近な・・』が主に土に関しての考察であるのに対して、『ダレでも・・』は、主に窯に関しての研究であります。合わせて読まれると面白いと思います。かなり専門的な部分もありますが、興味あるところだけ、かいつまんでも大きな修得になると思います。 講演が終わってから、先に述べたMLで既知の八木さんとお目にかかりました。八木さんは、この会の広報担当として忙しく動かれてましたが、私と会ったことをとても喜んで頂き恐縮してしまいました。八木さんの出品作品は、河津の土を釉薬にした『蛙の盃』や『おたま盃』で、かわいくも奥ゆかしく、すばらしいものでした。 八木さんの出品作品
最後に、芳村先生とこの会を、敬意と感謝をこめて 陶芸の偉大な錬金術師とその仲間たち ありがとうございました。 |
陶芸グループ『へんど』の問い合わせ先: 芳村やきもの資料館 |
住所 〒410-3208 静岡県田方群天城湯ヶ島町吉奈230 電話 0558-85-0663 |