元器をめぐる冒険-元気なうつわ展によせて 2004年10月
市野雅利 |
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村田紀之 |
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村田 森 |
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角田 武 |
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水を飲むと、元気が湧いてくるような気がする。 それは、水の特性を自分のものにできるような気がするからだろう。 下記のような有名な言葉がある。ご存知だろうか。 水五則 一,自ら活動して 他を動かしむるは水なり 一,常に己の進路を求めて止まざるは水なり 一,障害にあい 激しくその勢力を百倍し得るは水なり 一,自ら潔うして他の汚れを洗い 清濁併せ容るるの量あるは水なり 一,洋々として大洋を充たし 発しては蒸気となり雲となり雨となり 雪と変じ霰と化し 凝っては玲瓏たる鏡となり 而もその性を 失わざるは水なり この水五則は,黒田孝高(如水)が作ったものといわれています 人は水の如くあるべしというこの『水五則』は、多くの賢人の座右の銘となってきた。 一方、科学的には人体は70%が水で出来ているという。(新生児は80%以上!)) 人はほとんど水でできてるのだ。 が、逆に、人は水を湛えたうつわ とも言える。 そんな思いにかられて、水五則に対抗して 器五則を作ってみた。 器五則 一、ものの流れに道を与えるはうつわなり 一、自ずから進路を求めず、他力に徹するがうつわなり 一、土から生まれ、水に育まれ、火に転生し、風に晒され、人に愛されるがうつわなり 一、自ら清濁を併せ呑み、容るるものの特性を生かしむるはうつわなり 一、手の中の小さなうつわから発するも、果ては銀河も宇宙もまた、うつわなり。 翻っては、原子もまた遺伝子もまた、うつわなり。 しかも、いずれも、人のうちの法に則るが、うつわなり。 こう並べてみると、 水と器は、同じものの、裏と表の関係であることがはっきりする。 あるいは、水が心なら、器が言葉。 心は流れてしまって とりとめもないが、言葉にしてみれば、カタチが見えてくる。 はち切れそうな思いに、『愛』って言葉を与えることと、 熱い茶を、茶碗に注ぐことは、とてもよく似ている。 さらに言えば、魂が茶なら、人体が器とさえ言えるでしょう。 人類が始めて水をうつわで飲んだ時の、そのうつわってなんだと思います。 私は、確信しています。それが自分の丸めた手のひらだったと! それが器の源ー元器です。 器の源が、手のひらであることは、人体自体が魂の器であることを間接的に証明しています。 なぜなら、すべての事象は相似が扉を開ける鍵だからです。 手のひらは、ご存知のとおりオーラが出てます。ヨガではチャクラとも言うかもしれません。 両手で仮想のボールを撫ぜるようなイメージをすると、チャクラの玉が確実に存在するのが感じられます。その現象と、魂と人体の関係は、相似関係にあります。 つまり人体は精神も含めて、魂の入れ物なのです。 この相似関係が重要な意味を成すのは、、精子の核とべん毛とが、脳と脊髄とのかたちに 似ていることからも理解できます。同様なことが原子と恒星系の相似にも見られます。 これらの相似には、さらに重要な意味が隠されている。 それは移動への情熱ともいうべきものです。 精子は尾っぽがあるから、動きまわれる。 人体も脊髄があるから肢体により移動可能なのだ。 精子のべん毛や、脊髄の柔軟性は、 細長い細胞の柔軟性に起因する。その長い細胞の変形運動を 生んでいるのは、細胞内の腔なのだ。つまりそれは、何物でもない空っぽな穴なのだ。 それは、原子構造においてもしかりだ。 核と電子のあいだに大きな真空があるからこそ、電子はまわりを飛びまわれる。 太陽系を見ても、太陽と惑星のあいだの絶大な真空が、太陽系を占めているのだ。 人体における水のように、海における水のように、太陽系は真空でできているのだ。 真空だから、惑星は動く。惑星が動くと、真空の“気”も動く。 宇宙の気が動くから、占星術が示すような現象も発生しうる。 宇宙に元気の源があるのなら、それは真空。 そして、 水はその真空の性質を、目に見える現象にして示してくれる。 だから、水五則を読むと、元気が湧いてくるのだろう。 それでは、元気のあるうつわとは、何ぞやと問えば、それは 真空のエネルギー(元気)を映した鏡みたいなもんだ と私は思う。 その昔、日本では影と光が同意語であったように、(月の影と言えば、月光のことだった)) “うつわ”と“気”は、相反するものでありながら、同一のものである。
以前から私は、“うつわ”を“気”の集まるところと定義づけてきたが、 “気”は、“うつわ”によって現れ、運ばれる。なんらか“うつわ”がなければ、 その“気”は非常に見えにくい。まさに、“気”と“うつわ”は、光と影の関係だ。 したがって“真空のもつ元気”をより多く映し出す“うつわ”こそ、 “元気なうつわ”と言えるのではないか。 もっともっと話を手近に戻してみれば、例えば食器の場合、 その料理や食物や飲み物の特性(元気)を、より多く引き出してくれる“うつわ”こそ 元気なうつわであり、それを食す人の体と心にその元気を伝える媒体であり、 かつ実体なのだと思うのである。 食器の中のものを食すとき、その“気”は、人体という名の“うつわ”に注がれるのだが、 食物に元気がなければ、あるいは料理をつくる人に元気がなければ、そして、“うつわ”に 元気を映し出す鏡のような純粋さがなければ、人体に入った“気”は萎えてしまうだろう。 私が小学生だった頃、アルミ製のうつわが、かろうじて元気だったこともある。 給食の食器は、たいがいアルミ製で、何代にもわたって使われ、その傷や へこみ具合には、人のぬくもりが感じられもした。 しかし時代は過ぎて、アルミがアルツハイマーを誘発することがわかり、 製作時には、ほとんど人の手に触れずに、機械がパッコンパッコンと生み出すようになった今では、アルミ食器にはほとんど元気がなくなってしまっている。 いま、人の手(人類最初の食器)がなす、もっとも元気ある食器は、陶製のうつわだと 私は確信している。しかも、陶芸家自身が、“気”を込めて生み出すうつわには、 元気が溢れている。さらに言えば、元気な陶芸家から、元気なうつわは生まれる。 そしてまた、陶芸家の元気は、どこから生まれるかと言えば、家族だったりその土地の 風土だったりするんだと思うのです。 今回は、京都という日本で一番うつわ好きな都市に育まれ、しかもその都市から距離を 置いて作陶する4人の元気ある陶芸家を紹介します。 多治見の角田 武さん 越前の村田紀之さん 丹波の市野雅利さん 京都の村田 森さん の4人です。 みなさん関西の文化圏で芸をみがき発信するものの、関西を突き抜けて関東や全国に進出しようとしている方々だと思います。そこいらへんにも、元気をとても感じています。 例えば多治見の角田さんは、ネット上のショッピングページにもよく拝見しますが、モニタからも元気を発するのかとも思われます。お人柄も、作品もひと目で“元気”です。 多治見は、古くから陶芸の一大中心地だったわけだが、作家が育たなかったためか、なんとなく陶芸家にとって元気のない窯場となっていたように思う。それがここのところ、多治見市陶磁器意匠研究所から若い元気な陶芸家がどんどん出てきている。その卒業生にあっても、角田さんはいまや先導役的な立場にあるといえる。元気の泉から元気が湧き出るのか、元気が集まって元気の泉が出来るのか。いずれにせよ元気には引力がある。水は、強い分子間力によって、より大きな球体になろうとする。その引力に似て、才能は手を引き合うようだ。 越前の村田紀之さんは、ちょっと元気のない越前焼きにあって、ひとり気を吐いているように思う。写真家志望から陶芸へ転身し、唐津で修行して越前で独立した村田紀之さんは、どこか無国籍的な雰囲気がある。『焼きは唐津で、土は越前』という紀之さん自らの姿勢にも表出しているように、それは越境する魂とも言えよう。写真を超えて陶芸へ。唐津を抜けて越前へ。さらに越前を超えて、都心での個展を積極的にすすめる。その魂は、偉大ないにしえの詩人たちの魂に似て旅を愛する。水が激流のなかで力を百倍するように、障害を越えて移動するところに、元気は増幅するのだろう。 京都の村田森さんは、京焼きの中心地で生まれ育ち、有名な絵画家を父にもつ、由緒正しい芸術家であるが、郊外の山の中に住み、あえて京焼きから距離を置き、日用品に力を入れて作陶する。もちろん芸術性の高いものにも力を注いでいるが、より以上に、日用食器に力を注いでいるように思う。水は、『清濁をあわせ容るる』も、自ずから清くあり続ける。かえって、清濁を併せ呑むからこそ、パワフルなのだとも言える。村田森さんの姿勢も、そういう意味で、芸術至上主義の陶芸家たちより、ずっとパワフルに思える。また、村田森さんのヤキモノには、可能性の扉がある。幸せになろうと努力している人が、ほんとうに幸せな人であるように、そのヤキモノたちは、あるべきヤキモノになろうとしている。 丹波の市野雅利さんの作品は、化粧土の仕事に目をみはる。 特に刷毛目に独特なものがある。もともと刷毛目は、高麗や李朝にあって、三島などの象嵌技法の簡素化した形であると言える。繊細な技法の三島手などでは、どうしても高級品となってしまう。そこで庶民でも使える白いうつわとして生まれたのが、刷毛目。そこには、繊細さや丹精さは失われるものの、パワフルな勢いが生まれて、陶芸の新しい道を開いたと言える。また丹波は京に隣接するも、雅な京に相反して、野武士のような骨太の精神性を育む土地柄。その力強さを、正統に育む陶芸家である。まさに武士の書のようなヤキモノである。 今回は4人の陶芸家を紹介したにすぎないが、元気の泉は、きっとここにある。 最初のうつわって? =丸めた手のひら? =元器?=元気・・・ さあ、 手のひらに水を掬って見てください。 そこに見えるものを一緒に探しに行きましょう。 |